お久しぶりぶりです。雨の日が続きますね。高間先生のお好きな時期ですね。さて唐突ですが以下の文をまずお読み頂けますでしょうか。
60代も後半になって、お酒のおいしさを覚えてしまいました。夫は飲まないので、夜ひとりで氷の音を聞きながら、若い人の音楽とともにろいろ考えるのが至福の時で。このままだと、不良のおばあさんになりそうで心配です。
これはとある新聞のお悩み相談にコーナーに寄せられたお便りです。回答が面白く、高間先生ならどうお答えするのだろう?とお聴きしたくなり、おかしな質問箱をすみません。新聞の回答は先生のご回答を頂けたらネタバラシのようにまたお送りさせて頂いても宜しいでしょうか…?遊びのような投稿で申し訳ないのですが、回答文と共に私の普段抱えてる悩みと絡めて言い訳をさせて頂きたいと思います。ご了承いただけたら幸いです。
6月、雨の日はいいですね。落ち着きます。山下久美子の「雨の日はうちにいて」が染みる季節です — Back to 1981。
さて、こういう質問も大歓迎ですが、新聞の投稿については、わたしは何も言うことがありません。「いや、その通りで、不良になってください」としか言いようがありません。でも、ちょっとひねりを利かすとしたら、
「昔の音楽を聴きながらでなく、若い人の音を聴きながら」、というところが素晴らしいですね。不良になるためには「若い音」が必要でしょう。そうやって温故知新を重ねる時間が、あなたがいつまでも若さを保っていられる秘訣かもしれません。これから70代、80代とどんどん若くなっていきましょう☺
短いですが、こんな回答になります。あなたのネタバラシは、この質問のコメント欄にお願いします。
この回答者はずいぶんとひねくれているなぁと思いました。わたしは、元々の質問に余裕のようなものを感じていました。
つまり「不良のおばあさんになりそうで心配です。(笑)」文章には表現されていませんが、この(笑)を、わたしは感じとっていたのです。笑い話として書いたものなのに、心配していないはずなのに、この回答者はなんだか分かりませんが、自慢話のように取ったのでしょう。回答者さんのこころの居所が少しキツキツだったのかもしれませんね。
思いがけずのご返信とても有り難く拝読しました。イレギュラーな投稿でお手数おかけしました。高間先生がそうおっしゃられると私も全くそう思えますし、先の回答文を読んだ後は回答者の舌鋒に完敗して、そうとしか思えなくなってました(笑)それくらい自分の意見や判断というのが弱く頼りなく、そこが心配で時々何らかの脳機能障害か愛着の問題を考えるのですが、この回答者は影響力ある脚本家で、高間先生は長年臨床に取り組まれてる心の専門家で、またおふたりとも人生のずっと先輩で、そのよううな方々の視点や言葉の前に私のような一般の年少者が自失するのはまぁあることだろうと思い直せました(笑)高間先生の言葉は冷静ながら、いつもどんな人生へも受容と共感が高見からではなく感じられて、今いちばん安心を感じれます。いつもありがとうございます。
御回答ありがとうございます!
山下久美子「雨の日はうちにいて」聴きました。タイトルから想像したのと違って浮き立つようなポップさに心が軽くなりました。そして高間先生の御回答にも心が軽くなりました、かなり。何をそんなに気にしてたんだろうって。明日にはまた似たようなことで落ちてそうですが(笑)以下が回答者の文章です。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53527090Y9A211C1W11301/
これを読んだ時にいつも漠然と不安に思ってることを「こういうことかもしれない」と思いました。この回答文は全く想像の範疇を越え過ぎてて、でも時々こういう「置いてけぼり感」があると思いました。「自分だけがわからない」そういう感覚です。そしてそれは感情理解の深さというか。でも高間先生のお返事を読んで早速「別にいいか…わからなくても今はまだ」と流してる自分です。「今はまだ」を何度も繰り返してきた気がします。その先は、この回答者も匙を投げるような「わからなさ」のオバケになってしまうんじゃないかというか。まだ「通じる相手」だからこういう回答文だったのではないか、本当にわからない相手にはもう何も言わないのではないか?そういう怖さがあります。いつもじゃないですが。長々すみません。今のところは高間先生の御回答でまろやかな心地で気にはなりません(笑)茫洋とした話を失礼しました。