カウンセリングにおいての気密性の大切さを先日ご説明されてて、ラポールや安全基地を形成するには基本的なことと理解させて頂きました。しかし同時に親密の恐れを持ってる場合「ふたりきりの空間」という気密性に抵抗を感じる場合もあったりするか?という想像も浮かびました。親密さに抵抗するように自ら、関係性に風穴をあけるためにブログやSNSなどに開示してパブリック化することによってカウンセラーとの距離の縮まりを抑止しようとしたりなどはあるのでしょうか。とくに脱抑制型だと関係性をワンツーマンにすることに恐れを持ってそうなので。書いてて検討はずれな質問には思いましたが、特定の相手との親密を避け関係性を分散させる習性のある脱抑制型がどのようにカウンセリングを進めていくのか気になりました。
気密性という言葉を聞いてまっさきに思い浮かんだのは「息苦しさ」であり、症状として「強迫性障害」でした。がっちりとルールにしばられて、そのルーティンを行わなければ鎮まらない。でもやってもやっても満足せずに何度も繰り返す、わかっちゃいるけど止められないーー強迫的行動です。
一対一の関係性に対して息苦しさを感じるというのは普通の人でもあるでしょう。愛着障害の人は、特にそうかもしれませんね。
その息苦しさで、その関係性を外部にリークするかというと、そういうものでもなさそうです。おそらく外部にチクるのではなく、解離を選択するでしょう。その状況から自分を離すのです。だからブロガーの場合、そのカウンセリング過程に向き合うというよりも、カウンセリングから離れた話になるのではないでしょうか。
たとえば、その日のカウンセリングが息苦しかったとします。そういう場合、カウンセリングの詳細を書かずに、「昨日はいつものカウンセリングだった。電車でルームに向っていたら前の席に座っている子が…」という、カウンセリングとは直接関係ないようなことを書くのではないでしょうか。つまりカウンセリングから解離しているのです。
(でもこれはカウンセリングのことを書いていないので、結果的に良い行動だったともいえますが。)
巡り巡って、カウンセリングのことを書けるようになったというのは解離しなくなったとも言えます。そのことは結構なことですが、それをネット上に晒すというのはあまりにも自分を大切にしていない行為に思えます。大切な秘密をリークするのは、なんか、カウンセリングをやっていた豊かな時間がちょっと汚されてしまうというか、もったいないと思うのですね、わたしとしては。
大切なことは秘密にしておきましょう。そんなことを言いたいわたしです。
ふたりきりの空間への抵抗というのは、どなたにもありますので、それを緩和させる関係性を作っていくということがセラピストには求められます。
親密が恐い人にとっては「安全」ということも恐いもののひとつです。安全ということを知らずに育ったので、いざ「安全」に出会ってしまうと動揺するのです。距離をつめすぎずに徐々に安全な空間であることを自覚していってもらうように、そこがセラピストの腕の見せ所でしょう。
ご回答ありがとうございます。親密の恐れには「解離」の選択なのですね。全くそれは想像出来てませんでした。それだけ普通の人には安心感になる親密さが恐怖ということなんですね。そしてその安心感(安全)も恐怖とのこと。普通の世界の理から考えてしまうと理解がズレるどころか見当違いになることを改めて知れました。