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時々思うのですが、実際は愛着障害なのに自分では愛着不全と思ったり、逆に愛着不全なのに愛着障害と思ったりすることはありますか?初回ならまだしも継続カウンセリングを続けていても見立てと相談者の自己理解がズレたままなことはあるのでしょうか?

先に知識が先行して「愛着障害のキーワードは恐怖だから、このモヤモヤは基本的信頼感が無いことからくる恐怖心なんだ!」と、実際は「見捨てられ不安からくる【怒り】」を【怖れ】と取り間違えたりなど。

その場合カウンセラーはじっと傾聴しつつフィードバッグで訂正することはあるのでしょうか?「あなたが言うように恐怖かもしれないし「怒り」もあるかもしれませんね(期待に答えてくれないことに対しての)」という感じに。

また、そのように自己理解にズレが起こり、なかなか訂正されないことがあるとしたら、どのような心理背景からなのでしょうか?

恐怖を否認するのは、それこそ「怖いから」と想像できるのですが、怒りや期待を否認して「自分は親と愛着が形成されてない。親から虐待されてた!」と『あるはずの愛着を否認』するケースもあったりするのでしょうか…?虐待を否認する心理は理解できますが(正気を脅かす危険があると想像できます)「虐待されてないことを」否認する心理があるとしたら、一体どのような感情からなのでしょうか?

※このような質問をしたのはネットを散見してて第三者目線からは「書いてる人は虐待関係を訴えてるが(或は虐待関係を前提にした病態を自認してる・愛着障害やC-PTSDなど)これは虐待関係ではないのではないか…と思われることが結構の頻度であり質問させて貰いました。

質問は回答が閉め切られています
ソレア心理カウンセリングセンター 公開状態を変更しました 2023年6月14日