時々思うのですが、実際は愛着障害なのに自分では愛着不全と思ったり、逆に愛着不全なのに愛着障害と思ったりすることはありますか?初回ならまだしも継続カウンセリングを続けていても見立てと相談者の自己理解がズレたままなことはあるのでしょうか?
先に知識が先行して「愛着障害のキーワードは恐怖だから、このモヤモヤは基本的信頼感が無いことからくる恐怖心なんだ!」と、実際は「見捨てられ不安からくる【怒り】」を【怖れ】と取り間違えたりなど。
その場合カウンセラーはじっと傾聴しつつフィードバッグで訂正することはあるのでしょうか?「あなたが言うように恐怖かもしれないし「怒り」もあるかもしれませんね(期待に答えてくれないことに対しての)」という感じに。
また、そのように自己理解にズレが起こり、なかなか訂正されないことがあるとしたら、どのような心理背景からなのでしょうか?
恐怖を否認するのは、それこそ「怖いから」と想像できるのですが、怒りや期待を否認して「自分は親と愛着が形成されてない。親から虐待されてた!」と『あるはずの愛着を否認』するケースもあったりするのでしょうか…?虐待を否認する心理は理解できますが(正気を脅かす危険があると想像できます)「虐待されてないことを」否認する心理があるとしたら、一体どのような感情からなのでしょうか?
※このような質問をしたのはネットを散見してて第三者目線からは「書いてる人は虐待関係を訴えてるが(或は虐待関係を前提にした病態を自認してる・愛着障害やC-PTSDなど)これは虐待関係ではないのではないか…と思われることが結構の頻度であり質問させて貰いました。
愛着障害と愛着不全ではどのような否認が働いているのでしょうか。そして次に、その否認するこころの取り扱いについて考えてみます。
思春期という時期と脳機能の発達についても解説します。
■愛着障害を否認するこころ
虐待されてきたことを否認する心理は、普通にあると思います。親へのファンタジーが強い場合は特にそうですね。虐待する親だった、自分は親に虐待されて育ってきたなんて、誰も思いたくないと思います。だから、虐待を否認するわけです。
子どものうちはそうやって否認しておかないと、生活の基盤が崩れてしまうので虐待を認めるわけにはいきません。カウンセラーも、子どもに対してはそのように否認を解かないように接するあたたかさが必要です。
あんなあたたかい人が居たな、と思ってもらえるなら、別に虐待を明らかにしなくても十分に目的は達成しています。どんな目的かというと、この世の中には安全な人もいるのだということを理解してもらうことです。
■愛着不全を否認するこころ
愛着があったにもかかわらず愛着がなかったという訴えもよく聞きます。SNS界隈ではよく見られますね。
思春期心性からくるものです。思春期という時期は感情を制御する前頭前野の部分がまだ未発達の状態です。ですからいったん感情が暴走を始めたらブレーキがかかれません。アクセル全開になってしまって、つい「虐待されてきた」という思考にまで吹っ飛んでしまいます。
(精神的に)大人になればこの前頭葉の部分が十分に発達するのでブレーキがかかるようになります。このようにブレーキを手に入れるというのは、人の発達において重要な要素になってくるのです。
メンタライゼーションの海外研修を受けたときに、面白い図を見ました。
それは fMRI (functional MRI)で画像を観察しながら虐待に関する記事を読んでもらうという実験です。大人の場合、前頭葉が反応しましたが、青年の場合は偏桃体という感情反応をする脳の深部が反応していたというのです。
この偏桃体はアクセルに当たります。若い人は感受性に富んでいるためすぐにアクセルを踏むわけです。暴走族も若者しかいないというのはこれで説明できます。若者で暴走するのは普通ですが、40代で暴走している人は、もともと前頭前夜のブレーキシステムが構築されていない人です。つまり脳機能に問題があるのですね。
では年齢は十分に大人なのに精神的には思春期くらいの人々はどうなのでしょうか。残念ながらそういう図も解説もありませんでした。
ただ愛着不全の人とのカウンセリングでは感情の暴走に苦労しているという話が大半ですので、この偏桃体システムが誤動作している可能性があると思っています。
そして本題の愛着不全を否認するこころですが、それこそ思春期心性ゆえの心理でしょう。愛着障害のほうがヘビーでカッコイイと思っている節があります。
つまり愛着障害の真実を見通せないのですね。表面的なものに憧れる。奈落の恐怖があることを理解できないのです。しかし、この「愛着のない」恐怖は、「愛着のある」人には理解できません。つまり普通の成人期の大人でさえ理解できないということです。ですから思春期心性の人も「愛着がある」ために理解できないのです。
メインストリートを生きる人にはわき道の存在は知らない、ということです。書籍などでその存在を理解はできるかもしれませんが、その「奈落」については抜け落ちた理解になります。
■否認するこころの取り扱い
こうやって否認することは、一般的にカウンセリングの場でも日常生活の場でも起こり得ることです。
カウンセリングの場では、この否認が生じていても、それを問うことはありません。そんなことをしたら関係性にヒビが入るだけですから。否認を取り上げるのではなく、まずそれはひとまず横に置いておいて、関係性を作ることを全力で行うことです。
そして時期を見て、少しそういう話をしてみる。この「時期を見る」行動はカウンセラーの重要なスキルのひとつです。遅すぎてもいけないし、早すぎてもいけない。このコツは、日々の臨床の中で構築されていくべきスキルの一つでしょう。
相談者の方は焦ってアクセルを踏んで、早く答えがほしいかもしれませんが、カウンセラーは焦らないことです。じっくりとブレーキを踏みつつ進む。偏桃体システムに同調しないことです。