他所でカウンセリングを受けて3年になります。高間先生のご発信は2年くらい追わせて頂いております。クライアントでもないのにすみません。とても勉強させて頂いております。担当カウンセラーさんには不満はなく感謝しております。ですが私の問題から距離が縮まるのが耐えられずずっと感じてるカウンセリングについてのモヤモヤは直接言えないままでこの度こちらの質問箱に投稿させて頂きました。よろしくお願い致します。
私は高間先生の定義でいうところの多分愛着不全か愛着の捩れがある人間だと思います。見捨てられ不安は心の底に押し込めています。この重い依存心をバレないように生きてきました。見捨てられる状況にならないように重くならないようにと。だからかカウンセリングというものをどう捉えていいのか回数を増やすほどにわからなくなっています。信頼はしてますが頼ろうとすると全身で寄りかかってしまいそうで。実際心理的にはもうそうなってるのか長い倦怠感がカウンセリングをはじめて一年後くらいからはじまり今に至ります。でもやる気がでないいつも怠いというのは昔からのことなので、カウンセリングは関係ないかもしれません。ただ自分で前に進む時は「誰にも頼らない状況」が私には必要です。これは愛着不全あるあるでしょうか。自分の扉をピタリと閉めて誰もドアを開けないとわかってないと力が出ない。すがれるものを徹底的に排除しないと自分で立てない。そういう感覚です。要領を得ない文章ですみません。よろしくお願い申し上げます。
質問ありがとうございます。このソレア質問箱はソレアのクライエント限定というわけではないので、あなたのような他でカウンセリングを受けている人の質問も大歓迎です☺
カウンセリングを3年うけてらして、
長い倦怠感がカウンセリングをはじめて一年後くらいからはじまり今に至ります。
ということですので、ようやく「そこ」に到達したのではないかと思います。2年かけて、ようやく「そこ」にたどり着いた。
「そこ」とは「底」かもしれませんし、「底へ至る途中」かもしれません。それは分かりませんが、カウンセリングが進んでいる状態ではないでしょうか。
この重い依存心をバレないように生きてきました。
この重い重力のそばに来ているのかもしれません。それが倦怠感として表出している。
ただ自分で前に進む時は「誰にも頼らない状況」が私には必要です。
あえて「ひとり」を選ぶ道を選択しているのですね。その道は「孤高」の道かもしれませんし、あなたの得意技である「がまん」の道かもしれません。しかし、そこがあなたの道であるならば、そのスタイルを捨てる必要はありません。そのままGoしましょう。
倦怠感を感じつつ、あなたのスタイルである「ひとり歩き」を実践していく。
あなたがどんな人かは分かりません。愛着障害なのか愛着不全なのか愛着のねじれなのかは分かりませんが、愛着に問題があることは伝わってきます。それならば、いまのスタイルでいいですよ。それを続けているうちに、倦怠感の先へ到達できるかもしれません。いまのカウンセリングでOKです。そのまま行きましょう☺
コメントでいただいた「2023/06/04 日曜のレター返し」は、こちらの放送になります▼
高間しのぶ先生
ご回答ありがとうございました。
ひとり歩きだと自分では思ってませんでした。ひとり歩きをできるようにならなければとずっと思ってきました。
今日、日曜レター返しを拝聴して色々思うことがありました。「ひとり歩きをできるようにならなければ」という想いを捨てたくないと思いました。そう思う感情が自分の懐かしい場所で、楽にはなりたいし上手く生きれるようになりたいけど、それを捨てて平和になりたくない、そう思いました。ぐっと力を全身に入れて深く沈み込みながら歩く感覚。嗚咽を沈み込ませながら歩く感覚。上手く生きれなかったけどカッコ悪くて惨めな人生だけど、実は結構愛おしく思ってることに気づけました。それは頑なな私に忍耐強く3年付き合ってくれてるカウンセラーさんと、真摯にご発信をされ続けられ、このようにお応え下さる高間先生のお陰です。重ねましてありがとうございました。