はじめまして。stand.fmを昨年から聴かせていただいております。レター返しはリスナーさんそれぞれのお声に合わせた高間先生のご回答が新鮮でいつもとても楽しみです。お忙しいのにありがとうございます。
唐突ですが、、私は知らず知らずのうちに【上から目線】になってしまいます。上から物事や人に対して判断したり話していると思います。普段は全くそんなこと思いもせずに、自分はむしろ自己肯定感が低くて下から卑屈気味に何でも言ってしまうタイプだと思ってて、自分の高慢さなんて思いもよらずなのですが、自分のこのような性質に思い至ったのは、人のふり見て我がふり直せといいますか、他の人に何か傲慢さを感じて、これって何だろう?と考えたら「ああ、上から目線だ」と思い、やがてそれって自分もだからこんなに気になって何度も反芻するんだろうなと思いました。
自己批判が無く(自己観察はあっても)、自己弁護、自己憐憫、が主軸で、批判するべき対象は自分以外の他者。そういう心の構えです。自分は精一杯やってて、立派で清く正しいと信じてる(心の底ではわかりませんが)そういう人間。私の全てがそういう性質ではないでしょうが、私という人間を端的に現すとしたら、こういうことだろうなと思いました。
でも、たぶん午後には綺麗さっぱり忘れてしまいそうなので、、駄文で申し訳ありませんが、いつも勉強させて頂いているこちらに投稿させていただきました。
質問が末筆になってしまうのですが、どうして自己批判を忘れてしまうのでしょうか??デフォルトが「自分は正しい、間違ってるのは周りや環境だ」という感じ方を変えていくには、長期スパンのカウンセリングがやはり必要なのでしょうか?
カウンセリングは何度か試したことがありますが、数回続けても表面的なことしかやれず、それ以外の奥の気持ちというのをカウンセリングを通して話していくことが正直できる気がしません。こういうことから話せばいいのでしょうか。でもカウンセラーさんを前にするとたぶんまた無意識で「立派な自分」モードになってしまう気がします。カウンセリングでメモは見ないほうがいいとのことですが、それを抑制したい目的があるなら、メモを少し見ても良いでしょうか?
とても素直に質問をいただいたと思います。どこかでこころのストップをかけながら、それでいて自分のお気持ちを吐露いただいていると思います。
肩肘を張っていないというか。そういう気持ちでカウンセリングが継続できればいいですね。でもこれってなかなか難題でしょう。自分のブロックを少し外して質問箱にいただける、こういうことが重要と思います。もっとハードルをさげるなら、スタエフのラジオのレターなんてものは、もっと気楽にやれるかもしれません。
そういう状態をカウンセラーとの間で繰り返しできてくれば、カウンセリングも表面的な感情から、深部の感情へ移行していくでしょう。
立派な自分モードも、上から目線モードも、否定されるものではありません。それはあなたのシャドーですから、拾い上げてあげることです。そういうシャドーがあることを自覚していることが大切なんですね。
相変わらず同じようなことをしてしまうかもしれません。でもそういう自分が分かっていることが大切です。午後になったらさっぱりと忘れてしまっていても、午前中に何かひっかかっていた時間があった、そういう体験はご自身の理解を進めてくれるでしょう☺