恋愛依存について調べていたところ、ネット上で回避依存というのを見つけました
親密になるのを回避することに依存する?というような内容で、親密を避けるのに見捨てられ不安はあるようです
ソレアのホームページなどには特に回避依存は記載がありませんが、先生はこの依存をどのように思いますか?
周りに症状に当てはまった人がいます
少なくともわたしの臨床では「回避依存」という捉え方はしません。なぜなら、回避依存という切り口で考えてしまうと、ほぼどの精神疾患にも該当してしまう状態だからです。回避と依存がその症状名に顕著に表現されている精神疾患を中心に考えてみます。
- 回避性パーソナリティ障害
- 依存性パーソナリティ障害
この2つです。どちらもパーソナリティ障害のC群に属しているものです。
■回避性パーソナリティ障害
この障害をもつ人々は、拒絶されたり、批判されたり、恥をかかされることを極端に恐れます。そのため、そのような経験する可能性のある状況を回避するといいます。
しかし回避は、精神疾患の患者には広く見受けられる傾向があり、回避しているから回避性パーソナリティ障害であるというのは、非常に雑な見立てであるといえます。
■依存性パーソナリティ障害
この障害をもつ人々は、自分で自分の面倒をみることはできないと考えていて、他者に服従することで他者に自分の世話をしてもらおうとします。
欧米では依存については関心が薄く、研究例もわずかです。しかし甘えを母体とする日本文化に特化した症状とみるとしっくりくるかもしれません。
欧米では成人になると家から放り出されます。そして社会に適応できないとホームレスになるだけです。結果、薬物に走り野垂れ死にます。日本では社会に適応できない成人は引きこもります。この社会文化的な違いがあります。これはどちらが幸せなのでしょうか。
依存傾向は精神疾患の患者には広く見受けられる傾向があり、それのみならず、一般人を対象とした研究でも登場する人格特性です。そのくらい幅が広く雑な見立てと言わざるを得ません。
ですから、回避とか依存とかを考えるときは、その中心的な疾患は何であるかを考えたほうが良さそうです。それによって見立て違いを防ぐことができます。
もし、回避性パーソナリティ障害とか依存性パーソナリティ障害とかの疾患名をいただいているなら、それは再考の余地ありと考えたほうがよさそうです。
■親密を回避すること
愛着研究によると、回避傾向については、それが症状として問題になってくるのは、愛着スタイルとしては愛着軽視型(Ds型)の場合です。
彼らの母親の愛着スタイルは、とらわれ型(E型)あるいは未解決型(U型)と言われ、虐待が発生する可能性がある養育環境になります。その環境で育った子どもは愛着軽視型へ移行すると言われています。
つまり人間関係を回避することになります。
見捨てられ不安の場合は、根底に愛着を強く求める心性があり、それゆえに見捨てられることに敏感で、ちょっとでも心配なことがあると相手にしがみついてしまいます。こうならないために、逆に相手に接近しようとしない戦略も取られます。この状態が「親密になることを回避している」と見られるのでしょう。しかし、それは表面的な行動であって、こころの底では、もっとも親密になることを希求しているのです。
ここがDs型とは決定的に違うところです。Ds型は、こころの底から親密を拒否しているのですから。