4
0件のコメント

こんにちは。初めまして。昔から心理学が好きで、ソレアさんの質問箱やstand.fmを楽しみに拝読、拝聴させて頂いております。ありがとうございます。

「基底欠損」という言葉を高間先生の文章で初めて知りました。なかなかイメージができなかったのですが、先日のレター返しで「生まれつき足がないなら、ほふく前進でも、みんなとマラソン大会で競争しなければいけない、みたいな」と愛着障害の治療中の当事者さんのお話で、その過酷な状況をやっと少し感じることが出来ました。

実は、もしかして自分も愛着障害?とほんのり思ってたのですが、自分はどちらかというとマラソン大会でサボることをやってきた人生なので、愛着障害とは比べものにならないというか、、全く違う性質だと知ることもできました。

バックナンバーの放送で「愛着が形成されなかった人の倫理規範は厳しいものにならざる得ない」と言われてましたが、足が無いのにマラソン大会というのは、想像を絶する厳しさで、軽い気持ちで自己投影してしまってたこと申し訳無さすらありました。

このように私はもういい大人なんですが、自分の辛さを大袈裟に捉える自己憐憫の無意識にやってしまいます。どの本か忘れましたが村上春樹の作品の中に「自分に同情するな」「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」 というのがありました。

自分に同情する心理とはどんなものなのでしょうか?未成熟な感じには思うのですが、何歳くらいまでなら健全の範囲なのでしょうか?

質問は回答が閉め切られています
ソレア心理カウンセリングセンター 公開状態を変更しました 2023年4月23日