こんにちは。初めまして。昔から心理学が好きで、ソレアさんの質問箱やstand.fmを楽しみに拝読、拝聴させて頂いております。ありがとうございます。
「基底欠損」という言葉を高間先生の文章で初めて知りました。なかなかイメージができなかったのですが、先日のレター返しで「生まれつき足がないなら、ほふく前進でも、みんなとマラソン大会で競争しなければいけない、みたいな」と愛着障害の治療中の当事者さんのお話で、その過酷な状況をやっと少し感じることが出来ました。
実は、もしかして自分も愛着障害?とほんのり思ってたのですが、自分はどちらかというとマラソン大会でサボることをやってきた人生なので、愛着障害とは比べものにならないというか、、全く違う性質だと知ることもできました。
バックナンバーの放送で「愛着が形成されなかった人の倫理規範は厳しいものにならざる得ない」と言われてましたが、足が無いのにマラソン大会というのは、想像を絶する厳しさで、軽い気持ちで自己投影してしまってたこと申し訳無さすらありました。
このように私はもういい大人なんですが、自分の辛さを大袈裟に捉える自己憐憫の無意識にやってしまいます。どの本か忘れましたが村上春樹の作品の中に「自分に同情するな」「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」 というのがありました。
自分に同情する心理とはどんなものなのでしょうか?未成熟な感じには思うのですが、何歳くらいまでなら健全の範囲なのでしょうか?
自分に同情する世代は思春期なのではないでしょうか。学童期なら、自分のことは最高なので、同情することはないでしょう。小学生を見ればそんな感じですね。自分最高!とやっているのが健全です。
思春期に入ると人と比べるようになって、少しは自分のことを見て、という人に同情を買うモードに入ります。そしてときどき自分を悲劇のヒロインに見立てます。これが自分に同情する行動になるでしょう。
ですから悲劇のヒロインは10代なら健全な範囲といえるのではないでしょうか。悲劇のヒロインをやりつつ、こんなことをしていては社会では通用しないぞと思い始め、20代に入って自立していく、これが健全な発達といえるでしょう。
ただ、この発達が阻害されている人もいるのです。そういう人々がカウンセリングにやってきます。そして悲劇のヒロインをやらざるを得なかった自分の生育歴に直面して、怒りで身を悶えさせ、かなしみが枯れるまで涙を流して、一人立ちしていきます。
その一人立ちも、ちゃんと両足で走れるようになるかどうかは分かりません。しかし歩けるようにはなれます。足が不自由な感じだけど、その不自由さを持ってマラソン大会に参加することはできるようになります。彼らは自分のペースでその大会に臨むのです。当然優勝争いには入れませんが、それでもその大会に自分のペースで出ていることに誇りを持つようになるでしょう。
自分で自分を満たす行動をすることーこれが彼らにもっとも欠けているものですから、この自己充足によって彼らの生きる道が開いていきます。障害を受け入れること、障害受容という言葉があります。親が子どもの障害を受け入れなさいという意味ですが、これはなかなかできるものではありません。また、当事者自身が自分の障害を受け入れることは、もっとハードルが高くなります。それに似た感覚だと思います。ですから時間もかかるのです。
悲劇のヒロインをやらざるを得ない人は、それをやるしかないでしょう。その中から、悲劇のヒロインではなく、悲劇の人間くらいに格落ちしていくこと、それが彼らの回復のカンフル剤になっていくでしょう。
格落ちといいましたが、本当はそれが格上げになるのです。ヒロインは夢見る子どもですが、人間は夢ではなく現実ですから、実は「格上げ」なのです。けれどヒロインから見たらそれは「格下げ」に映るでしょう。
村上春樹も結構キビシメですね。彼のデビュー作からしてそんなムードがありました。彼は悲劇のヒロインは嫌いだろうということは、よく分かります。ある記者が彼にインタビューしました。たしか3作目の羊をめぐる冒険を書いた後くらい、1980年代に入ってすぐくらいだったと思います。
「あなたはマラソンをしていますが、そんなことをしていたら書けなくなるのでは?」すると村上は、
「そんなマラソンごときで書けなくなるくらいの闇だったら、とうに書けなくなっています。」
彼の厳しさを表現した逸話として、わたしの好きな彼の言葉です。
好きだということは、村上ほどではなくても、わたしもキビシメだということですね。それはカウンセラーとしてどうなの?とも思いますが、そこは、まあちょっと、仕方のないとこなのでしょう。
目の前のクライエントと人間同士の会話ができるようになりたいーカウンセラーにその眼差しがあれば、クライエントさんも、時間はかかっても、悲劇の人間へ格落ちできるのではないかと思っています。「みんな、人間へ格落ちしようよ」そんな思いです。