お世話になっております。私はよく頭の中で内省に似たような罵倒が聞こえます。日常的にそれはずっと流れていて、消音にすることはできたり、できなかったり、コントロールできませんがボリュームは小さくすることはできます。
例えばですが、カウンセリングを受けるとき、受け続けるかもうやめるかで悩みます。「カウンセリングなんて受けるのか、頭がおかしい!お金もとんでもなくかかる!穀潰しが!それで楽になろうとするのか!全部お前が怠惰なだけだろ!そのままストレスで病気を悪化させて死ね!」という声と「すぐあきらめる!お前が自己管理できないせいで周りにとんでもなく迷惑かかってるのに!病院とかが苦手だからやめたいんだろう、すぐ楽な方の選択をする!お前みたいなゴミはカウンセリングでもなんでも受けて正してもらわないとだめなんだ、できないなら死ね!死ぬか受けるかだ!」みたいなかんじです。これは今日のご飯なににしようとか、そんな普通の選択時にもわき出続けてます。
頭では、これは反省でもなければなんでもない、意味のないことだとわかってるのですが、本当に無意識に流れてます。(反省はちゃんと悪いところを認めて、謝ったり正しい行動をすることだと思ってます)
ついこの間までみんなそういう声が聞こえているけど、普通に生きてるんだと思っていました。自分だけそれに耐えられずに体調を悪くしてると思っていました。ですが、主人にきいたらそんなのは悪いことをして反省するときになら多少聞こえるけど常にそれは聞こえないと言われました。
ただただびっくりしています。びっくりしすぎて質問したくなってしまいました。
なにかするとき、心の葛藤は誰にでもあると思っていました。主人が変なのかとも思っています。
変な質問ですが気になってしまい、教えていただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。
あなたの頭の中に響く罵倒は、普通の人には聴こえていません。ですからご主人の言うことが正しいです。
しかしそういう罵倒に悩まされている人は、カウンセリングに来る人の中にはザラに居ます。普通です。
■あなたの中の特別高等警察
それらの罵倒は、あなたの中にいるもう一人の自分(取り締まり役の自分)から発せられる言葉です。戦時中に特高という恐い警察がいましたが、ああいう特高があなたの中にいて、常に罵倒してくるのです。
- これらは罵倒であって内省でも葛藤でもありません。
内省とは深く自分の中に潜っていって、しみじみとした情感を感じるものです。 - 葛藤とは罵倒する要素は薄れたものです。あなたの例でいうなら、「カウンセリングを受けてもカウンセラーに依存するだけだろう」ということと、「カウンセリングを受ければ対人依存から脱却できるかもしれない」ということを感じていることが葛藤になります。ここには罵倒する要素はありません。
■罵倒との付き合い方
罵倒とのよい付き合い方をご紹介しておきましょう。
➊警察官が被っている帽子を用意します。もっと手の込んだ人は、コスプレカフェとかで警察官に変身します。
➋恐い表情を作って自撮りします。
❸それをスマホの待ち受けにします。
➍罵倒する声が出てきたら、待ち受け画面を見ます。
これだけです。「こいつが言っているのか」と視覚化でき、外在化することができます。外在化がキーワードです。眺めていれば、そのうちに吹きだすでしょう。そうやって罵倒する自分を笑えるようになってくると、罵倒自己は罵倒の力を失います。
お笑いに変えるという高等戦略をご紹介しました。
回答ありがとうございました。みんなが失敗しても立ち直ったり、平気で何度も同じ間違いを犯すことができるのはこの声が聞こえてないからだったんですね、、、初めて知りました。私は極力、そういうことを避けてました。(失敗などすると特別高等警察が元気に出てくるからです。)
私は主人が失敗してしまっているとき、あの声に苦しんでるはずだ、大丈夫なんだろうかと心配しておりました…余計なお世話でしたね…
先生の解決策はちょっと恥ずかしいので難しそうですが、外在化をヒントに近いことをやれたらいいなと思ってます👮♂️笑
ただぼんやりと、もう特高とはお別れした方がいいんだなと思いました。
特高が必要だった生活は終わったのかもしれません。