もう切りたいんですけど…という人間関係において、切りたい相手から過去に受け入れたプレゼントが前触れもなく派手に壊れたりします。それを見て、あぁそうか私が以前から切りたい相手がやっと私を見切ってくれたのかな?という安堵感を感じますが、こういう心は感じていいのかな?人はみなつながっているし、最低な人間達も、私と同じようなものだろう?という自問が湧き出します
博愛も毒になるけれど、でも根本は博愛しかないんじゃないのか?という自問があります。
Musi ベストアンサーを選択しました 2023年1月16日
「私が以前から切りたい相手」というわけですから、あなたの怒りは相当なものなのでしょう。プレゼントは、相手があなたを見切ったというよりも、あなたの怒りが壊したのではないでしょうか。そのほうが自然と思います。
それを「相手がようやく見切ってくれた」と思うのは、自分の怒りをないがしろにしているのではないでしょうか。
「博愛」という言葉を使われているので、あなたは相当無理をしているように感じます。相当な怒りがあなたの中にたまっている感じがします。無理に頭を使って違う方向へ導こうとしているような気がします。
もしそうであるならば、自分の感情を思考でコントロールしようとせず、身を焼き尽くす感情を身体(こころ)で感じることです。自分の感情をないがしろにしないことです。
これは思考を離れるので、つらく感じることもあるでしょう。しかし本当の感情に出会うことができれば、そのとき安堵するでしょう。それは怒りであってもそうなのです。
Musi ベストアンサーを選択しました 2023年1月16日