質問箱やラジオで自己理解の学びを頂いております。いつもありがとうございます。初質問箱質問します。感想です。
20日のレター返しで愛着不全の人が感じる人間関係の辛さのお便りは自分のモヤモヤを言語化して貰えたようでした。とくに自分の着ている服は手作りの紙の服とか、糾弾される恐れに常に怯えているというのはまさしくでした。
またドブ川のたとえも共感しました。子供の頃から自分を同級生達とは違うオバケや妖怪とか不快な汚いヘドロのようなものに感じてきました。あだ名も幽霊でした。
今回の放送で自分の愛着不全の自己理解が深まりホッとしました。愛着はあったけど不十分だったゆえの人の輪に入って行けない住所不定のよそ者感も納得がいきました。情緒交流の証としてのドブ川とかヘドロのセルフイメージだったんですね。愛着愛憎のヘドロだと思うと愛おしくも思えてきました。
不十分だったけど確かにあった愛着の思い出を抱きしめながら、期待は時間をかけてじっくり手放して行きたいと思います。
母との間に愛着があったのか無かったのか確信が持てずに途方に暮れていたのですが、愛着があったという支えがあれば、親離れの作業も少しずつならやれそうと背中を押して頂けた気分です。
ありがとうございました。
スタンドFMのレター返しの感想をありがとうございます。愛着不全の人はともすれば皆から白い目で見られたり、非難されたり、孤立させられたり、いじめられたりして、生きていくには、それはそれで大変な人間関係を経験してきています。
それは母親との関係性に由来するものなのですが、それを世間で声高に言ってしまうと、ほぼ間違いなく「甘えだ」と糾弾されてしまいます。
言うに言えず、所在なさげに生きているのが、母との愛着はあったけれど不十分だった人、つまり愛着不全の人なのです。
あなたの愛憎のヘドロは、あなたのコンプレックスでもありながら、あなた自身でもあります。ヘドロはなんとかしてあげなければいけません。それは誰かが何かをしてくれるわけでなく、それができるのはあなたしかいません。
そのことに気づいていかれることが、あなたが母親から離れていけるポイントになります。
愛着愛憎のヘドロだと思うと愛おしくも思えてきました。
このご自身のヘドロを忌み嫌うことなく「愛おしく」思えること。これが一番大切なことです。あなたがこれまで生きてきた人生を愛おしく回顧できるようになること。これが愛着不全の人々の回復です。その調子でゆっくりやっていきましょう。
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こんなに丁寧に…本当にありがとうございます。
>あなたの愛憎のヘドロは、あなたのコンプレックスでもありながら、あなた自身でもあります。
はい。ヘドロは私自身そのものです。ずっとヘドロじゃない綺麗なものになりたくて悪あがきしてきました。
>それは誰かが何かをしてくれるわけでなく、それができるのはあなたしかいません。
そうですね本当に。私はヘドロのままの自分を受け入れて欲しかったんだと思います。ずっとそんな場所を探してた気がします。いつもダメにするのは自分でした。世界は人は多分普通に優しかったのですが私は関わる人にみんなに裁判官のローブを着せハンマーを持たせます。人と関わる限りハンマーが振り下ろされる恐れにおびえる。
そのことを自覚した今このままでいいとも感じてます。もし人々が裁判官のローブを脱いだら私もヘドロの自分をどうにかしないといけなくなるから。ヘドロは私の人生で私そのものです。苦しくても寂しくてもこのままで居たいと希求するものがあります。これは思春期症候群(先日のラジオの気に入ってしまって笑)でしょうか。まだ自覚すらできてない親への期待を後生大事に抱えてる。お礼のつもりが長文失礼しました。