10代や20代前半など比較的若い年齢の人がその時々に出会う人達の意見に流されやすかったりすする傾向があるのは経験の少なさや、精神的にまだ発達途中などの理由から理解できるのですが、ある程度年齢を重ねた人間にこの様な傾向が見られた場合、愛着不全などで精神年齢が実年齢に追いつかず思春期を生きているから起きるのでしょうか?または、発達障害や知的障害などの問題を抱えている可能性もあるのでしょうか?、何というか、ある程度社会に出ていたにも関わらず良くも悪くも歳をとりきれていない様な生き方をしている人について知りたいです。
精神年齢という考え方は、その人のある側面を的確に言い表せるパラメーターだと思います。ですからカウンセリングの見立てには威力を発揮するのです。例えば、精神年齢が思春期くらいまでの人だと、次のような行動が目立ちます。どちらも「自分」というアイデンティティが確立していないことから来るものです。
- 人の目が気になり、人の意見に流されやすい(自分というものが脆弱である)
- 自分の意見に極端に固執しやすい(1つの意見へのこだわりが強い)
真逆な行動ですが、どちらも精神年齢が思春期までの人々の行動です。
発達障害や知的障害の人々も精神年齢は低いです。思春期くらいで頭打ちになりやすい。30代くらいになると皆に追いつくとも言われますが、内実は「部分的に」追いついている感じです。全体的には幼い印象が強いです。
ちなみに発達障害が知的障害の線上で語られるのは、発達障害は「部部的な(凹凸のある)」知的障害だからです。
統合失調症の人々も精神年齢で語ることができます。つまり成人期に入ろうとしたときに失速して思春期あたりに舞い戻った人々です。ですから、病態によっては大人を経験している人もいて、そのような統合失調症の人々は見た目、意外にしっかりしている人もいるわけです。
脳機能の問題はなくて精神年齢が追いついていない人は、愛着の問題を抱えた人々です。愛着不全、愛着障害の人々がここに入ってきます。
愛着障害の人は基本的信頼感が脆弱であるという大きなトラウマを抱えていますので、精神年齢が幼児期と、非常に幼いところで動けなくなった人々です。これでは人生をスタートすることさえ困難なので、彼らなりのルートを自分で開拓して社会へ出ていますので、見た目が非常にしっかりした風体に見えることもあります。しかし内実は、アメーバみたいに「形」がないので、人に合わせてしまいます。これが人の意見に流されているように見えることもあります。
このように様々な理由があって流されるわけです。心理職としては、精神医学だけでなく、大きな視点をもって人間を捉えようする努力を欠かさないことだと思います。