ナナコライブラリーFM拝聴しました。そこで「お互いの頑張りを認めてればいいんですよ」とご説明されてたことについて。自分は「頑張ってない人はいない」という感覚があるのですが自分自身には当てはまりません。そのせいか頑張りを認められた記憶もありません。母はすぐ褒める人で「えらいね〜すごいね〜」と子供の頃から言われてるのに不思議です。母は騙せるけど他の人は騙せないので頑張ってないことがバレることがこの世で一番怖くていつもビクビクしています。カウンセラーなど一番騙せない人だからか緊張は抜けません。またカウンセラーから言われることは頑張ってない人生を表現されてるようで内心ダメージをくらってます。他の相談者さんの感想を読むと「よく頑張って来られましたね」と労われたことが結構書いてあるのに自分は言われたことないのはそういうことなんだろうと思います。家でも職場でももっと頑張れと言われたことはありますが逆はありません。だからカウンセリングで最低限は頑張れるようになろうとしたのですが変われませんでした。カウンセリング資金がもう尽きたので春で終了します。この状態でカウンセリングを終わる人間に第三者視点の意見を頂けたらと失礼しました。
何て言えばいいのか分かりませんが、「頑張る」というところからいったん退却したほうがいいのかもしれません。そのためにカウンセリングを中断(終了)するということも意味のあることのように思います。
おそらくあなたにとっては、いまは頑張るとか頑張らないとか、そういうこととは違う方角を向いているのかもしれませんね。いまは頑張るというベクトルとは違うということです。
春先は新しく会社や学校が始まったりする時期です。世の中、頑張りモードが全開になる時期です。ともすると、そっちの方向へ引っ張られてしまいます。そのチカラから脱出するには並大抵ではないでしょう。
こういうときは、世の中の動きとは逆方向へ流れるのも一手です。例えば、桜前線と逆方向へ一人旅してみるとか。みんなが頑張っている平日の日中にのんびりと電車の旅をしてみるとか。思いっきり頑張らないほうへ行動を振れば、何かが見えてくるかもしれませんよ。違うベクトルをそうやって発見できるかもしれません。
一言でいうと、世の中に縛られずに好きなようにしてみましょう、ということかな。
質問者さんは、ラジオを聞いて「頑張る」というところに、大きく反応したのです。普段「頑張る・頑張らない」ということにフォーカスしながら生きているからこそ、そこに反応したのでしょう。つまり普段は頑張っているのでしょうね。そしてラジオを聞いて、視界がいっそう狭まったのかもしれません。これは何かを考えているということで、葛藤しているということで、良い状態ではあるのですが、このように長年続けたカウンセリングを終了するまでに行ってしまうというのは、ちょっと極端すぎるかもしれません。
おそらく感情的に「嫌、拒否る」感情が沸いているのでしょう。そこに没入していくのではなく気分転換を計る、世界を広く持つ、そういうやり方もあることをお伝えしようと思い、回答を書きました。
お忙しい中、カウンセリングのような丁寧な御回答を誠にありがとうございました。自分の投稿と頂けた御回答を何度も読み自分の依存性に改めて気づけました。カウンセリングに長く通えさえすれば自分の課題が解決すると丸投げしてしまってました。こちらで頂いたメッセージの意味をゆっくり考えていきたいと思います。重ねましてありがとうございました。