依存症のお話を以前チラッとされてて気になってます。真っ当な社会生活が崩れた依存症患者はどのように健全な生活に移行して行くのでしょうか?私は依存症という重篤な状態では全くないのですが、とにかく怠惰です。怠惰依存症とでもいいますか。ベースが非常に怠惰なので、ほんの少しシャンとしただけでかなり気持ちが楽になるのに、そのほんの少しが続きません。ごきげんで怠惰してれば問題は無いのですが、自己嫌悪で鬱々としてしまうのに抜け出せません(鬱で動けないという訳ではありません.できるのにやらない状態です)アドバイス頂けたら幸いです。
お便りを読んでまず思った感想からいいますと、なんだか思春期の人かな、という印象でした。
「ごきげんで怠惰していれば問題ない」というのは、ベッドの上で笑いながらYouTubeを見ているのでしょうか。
しかし中間試験が近づいているので勉強しないといけないので勉強のことも一瞬あたまをよぎります。それが「自己嫌悪で鬱々としてしまう」のでしょう。
できるのにやらない。そして勉強のことは忘れてまたYouTubeの次の番組を見ている。
こういう光景は高校生くらいならほぼ一日の100%がこういう感じじゃないでしょうか。大人になっても一日の数%はこういう感じです。ですから、この怠惰は病気でもなんでもないので、このままほっとくしかなさそうです。ほっとけば、またYouTubeへ向かうかもしれませんが、20分くらいは教科書を開くのではないでしょうか。
切羽詰まれば動くのでしょうが、平和なうちは怠惰な生活を満喫しているのもいいものです。いづれにせよ、社会へ押し出されていくと、そういうことができなくなります。長い夏休みになったとしても、その平和を経験できているのは、悪くはありません。戦争よりはずっとかマシです。
依存症の人が社会生活を復帰する道筋は複数あります。それはその依存の在り方によって異なってきますので、病院に行ったり、カウンセリングに行ったりしてください。そこで治療者と一緒に治していきましょう。
しかし怠惰な生活から抜け出す道筋は、切羽詰まること、この一択ではないでしょうか。しかしなかなか切羽詰まることはないかもしれません。これは時を待つしかなさそうです。思春期を抜ければ切羽詰まることもあるでしょう。
思春期を抜けて大人になると死ぬまでの60年間は、切羽詰まることが連続するかもしれません。ならば思春期の数年くらいはのんびりと怠惰な平和にうつつを抜かしていても、何の裁きも受けることはありません。
ゲームに夢中になっていても中学も終わりの頃になると、ゲームに飽きてきたりします。Go all the way、怠惰も最後までやり抜けば、その次の世界が見えてくるでしょう。