はじめまして。こちらの質問箱だったと思うのですが愛着障害には「かりそめの思春期」があり、それを抜けると愛着障害らしさが出てくるとありました。それまでは愛着がある普通の思春期ぽい振舞いだとも。
わたしは中年期になるまでそれなりの生きづらさがありカウンセリングにも何度も足を運んだことがあるのですが、カウンセラーさんも自分も「ごく普通の若年期の悩み」という感じでとくにカウンセリングの進展はなく特定の場所に継続的に通うというより仕事などでどうしても辛いときに駆け込むような使い方をしていました。でも希望としては生きづらさを低減したいというのはずっとありました。
しかし30代半ば頃からパタっとそういうジタバタする感じが無くなりどうでもよくなったというか、人生に消極的になることで落ち着くようになりました。具体的には人間関係を断ち人と接しない仕事に切り替えました。仕事でたまに発生する電話応対や官庁や店員さんとのやり取り以外、人とは何年もまともに話していないのですが、以外と平気でむしろどうしても避けられない仕事を越えた付き合いやプライベートの付き合いがある時に強いストレスを感じます。
それまでの自分は接客業や営業職もやってたし人付き合いは良い方だったので今の自分に驚いてはいますが心は静かです。しかしソレアさんの記事を拝読して年をとって落ち着いたのではなく精神疾患の現れだとしたら不安要素ではあるなと思いました。また普段は落ち着いてるのですが先述のように仕事以外のプライベート的な付き合いが発生する時に強いストレスを感じるので、そういうシーンが発生しない選択を取ることが重なっていくので社会的に孤立が深まる方向ではあります。ストレスが無くなれば孤立しててもOKという考えで今までやってたのですが、高間先生は何度か孤立は良くないとご説明されてたのが気になりました。
しかしカウンセリングも含め人と継続的な新しい関係性を作る気力はもうないので、こうやってソレアさんで学ばせて頂くことで支えて頂いており感謝です。こうなる前はカウンセリングにも積極的だったのですが、その時はその時で治療者も私もどうカウンセリングをすればよくわからなかったのでタイミングというのは難しいなと思いました。子供でもいれば子供のために治りたいと思ったのかもしれませんが今はもう早く親を看取り家の後始末をし自分の生を終えることだけを考えています。でもこのような質問箱を書いてるということは終わりを待つだけじゃない人生もあったのかな?という欲があるのだと思いました。お読み下さりありがとうございました。
お便りありがとうございます。
あなたもいろいろあった人生だと思いますが、いまできるだけストレスを減らして人付き合いを減らして、それで日常が回っているのであれば、どうぞそのままお続けください。それが一番です。
それは孤立していくことになるかもしれませんが、社会と最低限の付き合いでつながっていると思いますし、なによりも、あなたの孤独があなたの孤立を救ってくれるかもしれません。ですからひとりの孤独を楽しんでください。
人生はいろいろあります。何が正解か、それは誰も知りません。ましてや死に逝くときでさえ、おそらくそれは分からないでしょう。それは占ってみても仕方のないものです。考えてみると、まったく正解が分からない人生こそ、正直に生きた証になるかもしれません。
わたしも心理の世界だけでなく、色々な世界に触れてきたのですが、結局のところ、自分ってよく分からないなと思います。
タイミングが合えば、あなたとわたしがカウンセリングルームで触れ合ったかもしれませんね。でも、それは叶わなかったら叶わないで、強引に人生をねじ曲げる必要もありません。
それは叶わなかったね、それだけで良いのでしょう。そう思います。重ねてお便りありがとうございました。