愛着は主たる養育者である母親が大事ですが、
他の兄弟姉妹よりも母親と愛着が結べなかったり、関心持ってもらえなかった子は、父親に関心持ってもらおうとしますか?
サンプル数が少なくて申し訳ないのですが、
子が男女男で、母親の愛着や関心は女の子に、男の子二人は優しくおとなしい性格で、父親からしたら妻より良き話し相手的な存在。
子が女女で、母親は上の娘のことばかり、下の娘は成人後も父親にべったり父娘デート、父親の男性的なスポーツ趣味に娘も同じくらいハマっていたり。
愛着は主たる養育者との間に形成されるものですから、母親と子どもの間で愛着形成がうまくいかなかった場合、子どもは父親に助けを求めます。
愛着形成がうまくいかないという表現は大雑把な印象を受けますね。ここには愛着障害も愛着不全も含まれてしまいますから。
しかしどちらであっても母親とうまくいかない場合は、父親との間に、愛着ではありませんが、愛着のようなものを求めようとします。
父親が普通の親で成人期まで達しているなら、この行動はある程度は「成功」します。たとえ母親との関係で愛着障害になっていたとしても、父親との関係でその傾向は緩和されるでしょう。ですからカウンセラーから見ると、愛着障害グレーゾーンに映ります。
つまり愛着の問題は抱えるわけです。こういう人は子育て場面で自分の中のつまづきに直面することになって、カウンセリングに登場されます。
とにかく、母親とうまくいかなかった子は、父親にまずは助けを求めるのは自然なことですね。そうなると父親の役割も大切なものになります。居なくても良い父親もいますが、居てよかった父親もいるわけです。
■父親との間に形成される愛着のようなもの
母親が居る場合、父親は主たる養育者ではありませんから、母親との間で形成される「愛着」を結ぶことはできません。しかし「愛着のようなもの」は形成されます。
この「愛着のようなもの」とはいったい何でしょうか。これを心理学的に説明できる言葉を思いつきませんが、臨床上では存在しています。そのような人々を多数みかけます。
例えていうなら、母親から受ける愛着を「牛乳」だとしたら、父親からのそれに似たものは「脱脂粉乳」のようなものと言えるかもしれません。栄養はあるけれど不味い。子どもは本当は牛乳が欲しいのですが、それがないので脱脂粉乳で栄養不足を補填している。
脱脂粉乳の愛、これが愛着のようなものと言えるかもしれません。