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愛着障害の依存心について質問させて頂いた者です。アカウント登録を失敗し新たな投稿すみません(またstandFMでもお礼レターをしてるので何度もすみません)

レターでも書いたのですがリンク頂いたBPDのレポートは大変参考になり繰り返し読ませて頂いてます。読むだけで心の拠り所となるような安心感を頂けます。さて数度目の拝読で気になった点についてしつこく質問箱をすみません。バリントの基底欠損の概略についてです(該当書籍と思われる『治療論からみた退行ー基底欠損の精神分析/中井久夫訳』は、いち相談者側の自分には読める自信がない上高額なので概要をまとめたnet情報からの質問で申し訳ありません)

「バリント/基底欠損」で検索して見つけた以下のblogの文章を読み、http://digitalword.seesaa.net/article/401357125.html?amp=1

先生のご回答で納得できた〝愛着障害には依存心がない〟という旨がまた揺らぎ再度質問させて頂きました。該当文章には、

バリントの原始的二者関係における退行的な感情は、日本の土居健郎(どいたけお)が提起した『甘え』の感情と類似したものであり、特定の親密で保護的な対象に依存して甘えようとする傾向(主体性・責任感を失いやすい傾向)を持っている。基底欠損と関連した精神病理学の概念として、対象関係に執着してしがみつく“オクノフィリア”(以下略)

とあります。

これを論拠に愛着障害(基底欠損の意味での)の臨床像/治療論を展開する心理職もいるのではと考えられ、また高間先生もこの書籍を参照されてると思え、どう読まれたのか、またご自身の臨床経験とどう照らされておられるのか御教授頂けたらと思いました。

末筆になりますが、結局お聞きしたいのは相談者側としての姿勢といいますか、向き合い方についてです。依存心があるとは思いたくないので、どうしてもその想いを補強するお話に頼り思考停止してしまいます。ですが自分の中に今までも現在も確かに感じる「依存心」があるとしたら、(明確に確認をとったわけではないのですが私の見立てはC-PTSD/愛着障害です)外からの情報(愛着障害関連)は一旦脇に置き、自分の中の最も憎むべきと思ってる感情や行動(私の場合は依存心)をただ認めるなり観察するなりすれば良いのでしょうか。愛着に問題があるためか感情を避ける習性があり、外にある〝自分に都合の良い情報〟を集め本心と向き合うことを先送りしてる感覚があります。

質問は回答が閉め切られています
ソレア心理カウンセリングセンター 公開状態を変更しました 2024年5月23日