高間先生のカウンセリング受けて、私はさまざまなことに怖がっていたことに気がつきました。『怖がりの自分』の基盤になってる恐怖は、とても古い過去の恐怖でした。
恐怖は自分自身への恐怖でした。この恐怖感が意識に上がってきて認識したとき、奇妙な気分になりました。
長い間、自分の行動によって他人が反応することが怖く、近くを通り過ぎる人も怖かったようです。『ようです』と表現するのは、恐怖感は無意識下に広がっていたので気づくことなく、表面上は率直な人柄である自分を自分自身で疑うことはありませんでした(率直な人柄であることが望ましいわけではありません)。
率直な表面、無意識下の恐怖、時間、それらが混ざり合い解消されるその過程で、『怖がりの自分』を知ることになりました。
だから、例えば、スーパーで買い物に行くことも、他の人とすれ違うこと自体が怖かった自分でした。
また、相手が不快な感情になると、相手を不快にさせた自分の未熟さに対する恐怖を感じました。未熟さを隠すために手段を講じる生活を送っていました。相手が喜ぶような反応を示した場合は「しまった…」と思い、自分との関係が近づいてしまうことが怖く、徐々に薄れるようにしました。
自分の行動の恐怖、他人の反応の恐怖、他人に応える自分自身に恐怖、自分を取り巻く環境に対して、それを感じること、感情を自分のものにすること、反応し合い相互作用が生まれること――その連鎖が恐怖でした。
しかし今やっと、私の感情と他人の心を等しく思えるようになりました。
自分で感じる変化、恐怖からの成長、自己と他者を受け入れる過程を振り返ったという、カウンセリングの感想です。
Musiさんは、わたしのクライエントさんなんですね。ご苦労様です。カウンセリングの感想ありがとうございます。シェアさせていただきます。
■カウンセリングの感想はいつ書くのがいいのか
ときどき質問箱の感想として、カウンセリングの報告をいただく方がいます。
こういう感想は、実体験を言語化したものですので、他の読者にも伝わるところは大きくなります。カウンセリングを通して起こっているものが、臨場感を持って迫ってくるでしょう。読んでいても面白いと思います。
こういう感想は値千金なんですが、感想をいただく場合は、カウンセリングが終了してから、あるいはある程度の山場を越えてから、ご自身の辿ってきた道を振り返るように書いていただくのがいいかと思います。このMusiさんのように。
自分で感じる変化、恐怖からの成長、自己と他者を受け入れる過程を振り返ったという、カウンセリングの感想です。
カウンセリングの途中の方は、何か急激な変化を感じたとしても、それはわたしにLINEなどでこっそりと教えていただく程度、あるいは次回のカウンセリングで話していただくのがいいでしょう。
カウンセリングとは、それくらい繊細なことをやっていますので、自分に起きたことを話すことは、それが匿名であっても、こころの中に何かしらの変化がもたらされます。
その変化もカウンセリングの一部であるという捉え方もできますが、そういうふうにすべての事象を利用ができるスキルは、かなりの上級カウンセラーでしか実現しません。
ですから、「カウンセリング途中の感想はひっそりと」がいいのでしょう。終了した方が、大手を振ってクチコミやこの質問箱などに投稿いただくのは大歓迎です。そういう投稿は喜んでシェアさせていただきます。
■個人Blogにカウンセリング過程を書くということ
最近ではBlogにカウンセリングの経過を書かれている人も散見されるようになりました。わたしとしては、それはとてももったいないことをしているように思います。
カウンセリングとは、治療者と相談者だけの、ふたりだけの空間です。この【ふたりだけの閉ざされた空間】に流れている豊潤な時間を外部の人に垣間見せるというのは、豊潤度が落ちるような気がします。
この鮮度を保っておくためにも、【ふたりの時間はふたりだけのものにしておく】必要があるのは、カウンセリングにおいては基本中の基本であり、ネット社会においては注意しておくべき観点なのかもしれません。
高間さんのブログをほとんど読んでいます。最初は理解できなかった内容もありましたが、カウンセリングを進める過程で、以前は理解できなかった記事の意味が、ある瞬間理解できるようになりました。その中で、ソレアで愛着障害から回復されてきた人々の悲しみや回復までの軌跡が自分自身と重なりました。
特定の記事を指定するつもりはありませんが、そのように理解が得られた記事の「言葉」を組み合わせて、先ほどの感想文を投稿しました。
したがって、今回の私のカウンセリングの感想は、高間さんのブログで得た言葉をつなげたものであり、それは高間さんのブログの内容の価値が高いということです。値千金はブログです。
ただし、理解が深まったとしても、「基本中の基本」を逸脱してしまったことをお詫び申し上げます。
本当に値千金なお話をありがとうございます。親密の恐れ、その底にある基底欠損の恐怖を重層的に表現されてて、恐怖心が軸になるという愛着障害の世界を少し理解できた気がしました。ソレアblogの月モデルのお話(基本的信頼感(大気)のある地球モデルに対して大気のない剥き出しの月の例え)を日常的な具体例で受け取れました。