ホームページの「藤圭子とその娘、宇多田ヒカル~境界に生きる人々(愛着障害)」を再読させて頂きました。とても感覚的に感じいることはできましたが、愛着障害の人の行動と心理を読むほどによりわからなくなるのが正直な感想です。記事の中に何度も「寂しい(本人談)」「寂しそう(他者談)」と出てきて、行動も友人や家族に電話で一方的な話を何時間もする。しかし藤は適切な治療がなされず人への恐怖から人間不信、さらに人間嫌いまで至った重度の対人恐怖の人なのですよね…?でも上記のような行動は「わかってほしい」と人を強く求めてるように見えるし、また当時の彼女の様子をネットで探した所、一人旅ではなく同行して多額のお金の管理を任せてた恋人の男性が居たようです(自分一人だと使い過ぎてしまうので信頼して任せてたようです)大人恐怖しながら人と離れず人を求める心理構造とはどういうことなのでしょうか?愛着障害にアンビバレントさはなく、アンビバレントは不安型愛着スタイル(愛着不全)の特性と理解してたので難しく感じ質問させて頂きました。
藤圭子とその娘、宇多田ヒカルの記事で、感覚的に理解していただけたのは良かったです。頭では理解できても感覚や感情的にはよく分からないというのが、この愛着障害の特徴だからです。
なぜなら基本的信頼感のない世界というのは、頭では分かっても、感覚的には分からないからです。私たちの生きている世界は、基本的信頼感ありきで構築されているからです。
■虐待は連鎖しない
藤の行動を理解するには、「虐待は連鎖しない」というところへ立ち戻る必要があります。
つまり虐待を受けて育った子どもが親になった場合、自分の子どもへ虐待をするか?と言えば、NOなのです。つまり被虐児は普通に育った人と同じように、自分の子どもに対して愛着を結んでいくのです。
これは子どもばかりではありません。関係の近しい家族や友人に対してもそうです。最初は、距離が遠いでしょう。しかし、だんだんと時間をかけていけば、普通のような人間関係を「近しい」人との間で築くことができるのです。
これが「寂しい」という言動に現れ、家族や友人・恋人に長時間電話をかけるという行動にもつながります。さみしいと言ったり、長い電話をかけるのは普通の人にもありますね。一緒なのです。普通の人と同じですので、アンビバレントな振り回しはありません。
けれど、これは本当に近い関係の人々に限られます。そしてこの「近い関係」というのは普通の人よりもかなり限定されているという違いはあるでしょう。
これは「分かってほしい」という飢餓感を、ある程度広範囲に、知り合って間もない人々にも向ける愛着不全の人々の行動とはまったく違うものです。愛着不全の人の仲良くなる行動パターンは、大丈夫と思うと急接近するパターンです。
■まとめ
- 愛着障害の人は普通の人と一緒で、他人と愛着関係を作る能力はある。脳機能の問題はない。
- ただ普通の人と違うのは、愛着が形成されそうになると回避するクセがある。それは関係を急に切断する(恋人解消、離婚など)という行動に出るため、周囲の人は混乱する。
- だから愛着障害の人と近くなるためには、愛着形成を徐々に行う必要がある。急接近はNG。
stand.fmも含め御回答誠にありがとうございました。まず自分の愛着不全的な心理の認識がズレていたように感じました。成人した大人が何時間も電話をすることを見捨てられ不安に短絡的に結びつけてしまってましたが普通の感覚なんですね。「虐待は連鎖しない」ゆえに愛着障害も限られた人(特に我が子)と愛着を形成し情緒交流を求めるということを理解させて頂きました。