日々の中で愛着障害に当てはまる事が多いと自分では気付きました。愛着障害的行動自体が自分では悪いと思ってなくて、何かのせいにしたりしながらそれが自己だと思ってきた場合、手放した時には死んでしまうのではないか、それは死と同じではという恐怖があります。自他との境界が曖昧で、人の意見を自分の意見のようにしてしまう事もありました。このようなケースはあるでしょうか。先生はどう思いますか。
あなたのどういう言動が愛着障害的なのか、そして生育歴などが全く分からないので、なんとも答えようがないというのが正直なところです。
ただ、手放すと死んでしまう感覚が襲ってくるというのは、何を手放すのかは分かりませんが、その行動自体に執着があるように感じます。そこから類推すると、愛着不全寄りの行動パターンのようにも思えます。
しかし愛着障害でも思春期の子どもは、思春期っぽい行動をするので、簡単には切り分けられないでしょう。どっちもアリですが、これを決定づけるのは、当人を離れて、養育者の見立てになります。これは重要です。
また愛着障害の人は、他人の意見を自分の意見のように言わないようにも思います。彼らにとっては、意見そのものが自己主張と判断するので、それが他人の意見でも自分の意見でも言いません。何も言わない、この戦略を取るのが愛着障害の人々です。ただ、これも脱抑制の人のことを考えると複雑になりますね。ここを切り分けていくのが心理職の腕です。
一方、不全の人は自分の意見がない場合が多いので、他人の意見を自分の意見に借用することはありそうです。
いただいた質問から答えられるのはこのくらいです。50分のセッションをされると、もっと詳しく分かってくるでしょう。一度、カウンセリングにかかられることをお勧めします。
そして一番大切なのは、愛着障害でも愛着不全でも、見立てなどはさっさと立ててしまって、愛着のカウンセリングに集中していくことでしょう。