遠野なぎこさんは愛着障害の脱抑制対人交流障害の可能性があるのですね。見捨てられ不安が強い恋愛への依存イメージがあり愛着不全かと勝手に思い込んでました(共感も)愛着障害でも脱抑制型は愛着不全ぽい感じになるのでしょうか?
遠野さんの来歴からは確かに愛着障害に思えますがご本人のインタビューや映像からは人を求め続けてる愛着不全像もやはり浮かびます。臨床でもこういう方は結構多いのでしょうか?愛着不全と愛着障害の脱抑制型の違いはどんな点から感じられるのでしょうか?
TVでは率直な毒舌が重宝されてよく吠えてらっしゃいますが本当の彼女は誰も求めない静かな人なのでしょうか。出演されてた朝ドラは「すずらん」です。サントラの写真の遠野さんは先生が話される愛着障害の人の雰囲気を感じました。https://youtu.be/8OFt8LH0rL8こちらの方が素なのでしょうか。だとしたら回復はあまりされておらず社会適応としての仮面が近年の彼女なのかな…などなど勝手に色々考えました。脱抑制も回復してくると反応性みたいになってくると以前書かれてた気がしたので。
ちなみに愛着障害の脱抑制ぽい有名人と言えば私は酒井法子さんが浮かびます。昔も薬物事件後も一貫してフランクで明るいキャラですが、目が深い闇というか先生が本とblogで表現されてた「愛着障害のブラックホール」を感じます。薬物も依存せず事件でおった5億円の賠償金をドサ周りで完済してるし、最近のインタビュー映像からは言葉の背後にある人生観や体や声の出し方から世界に対して身構える感じが地肉化してる感じがあって、本当にひとりで厳しく生きてきた人なんだな…と畏怖みたいなものを勝手に感じました。それに対して遠野さんは瞳がいつもキラキラしてて思春期ぽい危うさとほっとけない愛おしさを感じてしまうというか。この違いって何なんだろう…と色々考えて長文すみません。
遠野なぎこや酒井法子はそういう人達なんですね。モルツさんの人間観察はするどいですね。ここにシェアさせていただきます。ありがとうございます。
彼女たちに対してのわたしの意見は差し控えますが、脱抑制の人々はなかなか分かりにくいですね。
一見すると愛着不全のように見えます。明るいように見えます。というか暗さを微塵も感じさせません。それは演技をしているというものでもなく、それが脱抑制の特徴なのでしょう。意識的に明るくしているわけではない。
しかし脱抑制の治療が進んでいくと、それが意識的なものだと分かってくる。ここで追い込まれてしまう。気が付かなければよかったと思う。ここでカウンセリングルームを去る人もいます。「虐待」という名前を付けられて、それで去っていく。カウンセラーはそういうことも織り込み済みでカウンセリングをすべきでしょう。緩急のついたカウンセリングが展開されるべきでしょう。ドロップをできるだけ食い止めるように。
虐待、愛着障害の臨床は、この名前が付けられてからが本番なのです。そこでドロップしてしまうと、彼らがまたカウンセリングルームへ訪れるには、また長い時間を必要とします。付けられた本名は彼らを苦悩に陥れますが、名前が付いた瞬間、ハッピーエンドへの扉が開くことも知っておくべきでしょう。
名前を持つという出来事は、世界を変える力を持っています。そんなファンタジー小説はたくさんありますね。いま書いている愛着障害の話も、そんな名前の話もでてきます。乞うご期待を(笑)。