誇大性(ナルシシズム)について検索してたら以下の記事がありました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/誇大性
またそれは反応性愛着障害でも発生する[2]
残念ながら出典元の英語記事へはリンク切れのようです。
私は愛着障害の見立て受けているのですが、自分の中の強い誇大性を感じています。高間先生の見解だと誇大性は愛着不全やパーソナリティ障害に関連するもので、愛着障害には関係ないとご説明されてる感触があるのですが、養育者へのファンタジーの中にいる時点では、まだ現実への客観性に欠け「誇大性あり」と見えることもあるということでしょうか?
それとも生きられなかった半身(シャドー)として愛着障害には「誇大的自己が背中合わせに存在している」のでしょうか?
自己愛については、結構誤解されている側面があるかと思います。リンクをいただいたwikiもその一つかもしれません。
- 「誇大性」はカーンバーグによる自己愛の定義です。愛着不全の人も見られますが、それは彼らが自分の不全さに気づいていない場合です。それに気づいた場合は、誇大ぶっていられなくなります。そういう意味では、それらに決して気づかない人々が誇大的なナルシストであり、脳機能の問題ありといえるでしょう。
- 「過敏性」はコフートによる自己愛の定義です。過敏なので広義にはHSP的気質も入ってきます。狭く見積もると愛着障害ですね。コフートはカーンバーグの自己愛と混同されることを嫌って、自己愛性パーソナリティ障害という命名を捨てて、後年「自己の障害がある患者」と定義を変えました。
自己愛というと誇大性が強調されますが、反応性アタッチメント障害の人はぜんぜん誇大性から遠いところにいる感触を受けます。むしろ誇大性が強調されやすいのは脱抑制型対人交流障害の人々です。
彼らの表面的ななれなれしさによって愛着障害と診断されずに、世間から疎まれて生きていることが多いです。成功している人も少なからずいますが、基本ひとりなので、こころの内側でひたひたと迫ってくる孤独とともに生きています。
このような人々は表面的には誇大的に見えることが多いでしょう。また質問による心理検査(ナルシシズム診断インタビュー(Diagnostic Interview for Narcissism ,DIN))は表面的なものしかあぶり出してきません。ですからそういう検査を頼るのではなく、彼らの日常の会話スタイルの中から彼らの本質に迫っていく作業が心理職には課せられているのです。
愛着障害の人は、母親へのファンタジーの中にいても誇大的には見えないように思います。自信ありげには見えるかもしれません。そこが誇大的でファンタジーにいるからだと言えなくもないですが、自信ありげな化けの皮はすぐに剥がれます。その皮をはがすのが心理職の役目ではありません。その皮をかぶらないとこの世界でやってこれなかった彼らの心中に思いをはせることが心理職の役目なのでしょう。そこにしか治癒は存在しません。
□この回答についてご意見・ご感想などをお聞かせください。コメント欄でお待ちしております。
□質問箱リストへ戻る https://solea.me/questions/