愛着障害と愛着不全の回復には原則としてファンタジーと期待を壊す必要があるとはどうしてでしょうか。
以下の理解で宜しいでしょうか?
愛着障害も愛着不全も生きづらさの原因は、自分自身の倫理規範、自分自身の感情感覚思考を抑えて外部のそれに合わせて生きているからである。つまり、「自分」がないから「自信」がない。
治療とは畢竟この自分を取り戻すこころみである。
では、なぜ自分を失ったり、自分が不完全になってしまったかというと養育者が適切な反応を示してくれないからだ。すると子供は混乱して、理由はよくわからないけど、愛されてない、愛着が結ばれてない、基本的信頼感がない状態が本能的な恐怖感を惹起するからか、自分を否定して、親のいう事が正しいと思い込もうとしてしまう。これがファンタジーである。
また、嘗ては適切な反応を示してくれてた、或いは示した風に振る舞ってくれていた親がある時期を境にしてくれなくなると、子供は混乱しつつも、嘗ての成功パターンに固執してしまい、自分を生きることをおろそかにしてしまう。この成功パターンが期待である。
それぞれの自分を完全に又は部分的に否定する原因はファンタジーと期待という事なので、これを壊す必要がある。(壊さなくてもいいけど、これらの効力を無効にする必要がある。)
以上。
以下は補足。
なお、治療ではそのための地ならしとしてカウンセリングで安全感を確保して、自己否定の原因に向き合えるようにお膳立てする。
安全感とは何かを教えてくれたカウンセラーを初め友人、恋人、上司などと
回復しつつある「自分」を足場に関係を広げていき安全基地を何重にも増やしていく。
同時並行で、乳児期、学童期、思春期、、それぞれの課題も「自分を」足場にクリアしていく。
あるがままに自分を生きることが出来るようになるのが当面の目標であり
これが回復へのロードマップである。
回復とは自分を取り戻す作業。それはその通りです。では、自分の何を取り戻すのか。結論からいうと、それは感情です。
そして感情にもいろいろあります。最終的には「かなしみ」の感情の中に回復の芽が芽生えるのです。静かなかなしみに至ること。これが治療の原点です。
■ファンタジーと期待について
ファンタジーと期待は誰に働いているのかというと、
- 愛着障害には母親(養育者)へのファンタジーがある
- 愛着不全には母親(養育者)への期待がある
そして、どういうファンタジーや期待かというと、
- ファンタジーは、いつか親は変わってくれる、悪いのは自分だから親を責めてはいけない。そんな、まぼろしの愛着を求めるこころです。
- 期待は、親がかつてそうあったように自分の誕生をこころから祝福してほしい。愛着の復活への巨大な執着です。
これがそれぞれの生きづらさの原因です。この原因をクリアしていくためには、
- まぼろしの愛着をもとめることをあきらめること。これがファンタジーを捨てること。
- 愛着の復活をあきらめること。これが期待を捨てること。
愛着障害と愛着不全の回復には原則として、ファンタジーと期待を壊す必要があるというのは、こういう理由によります。
■愛着障害も愛着不全も、その他の症状も「あきらめる」という点では同じ
これは原則なので、実際の臨床の場では、もっと細やかな対応や目標のようなものが選択されますが、原則は両方とも「あきらめ」の感情を目指していきます。
このあきらめの感情に至る前には、さまざまな感情の大冒険が待っています。これがカウンセリング途中で起こるさまざな感情の体験です。怒り、恐怖、絶望。この三大感情を体験し、最後にはかなしみへ至ります。
自分の人生をしみじみとかなしみ、それは清水(しみず)のように行き渡り、しだいに澄んだ瞳になっていきます。そしてその先に、あきらめが生まれてきます。
この感情の順番を通して回復が進んでいくのです。これは何も愛着に関した疾患だけでなく、例えば精神的に成人期に達している方の悩み相談でも同じ原則で進みます。
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