先の質問箱の引用を勝手ながら失礼します。
>母からの情緒的ネグレクトによる愛着不全傾向
という質問者さんの認識に同意する感覚を持ってる者です。
高間しのぶ先生のnoteやblog記事はほぼ全て読ませて頂いており、情緒的ネグレクトも虐待であるという定義を理解しているのですが、ダメ押しで質問してもよろしいでしょうか…?
不躾な質問で申し訳ないのですが、高間しのぶ先生や高橋和巳先生の上記の定義は臨床心理学での共通理解でありますか?それとも情緒的ネグレクトに関しては虐待とみなさない専門家もおられるのでしょうか?
私は養育者に脳機能の障害がある(精神障害+知的障害で会話は事務的なことのみで情緒交流は成り立ちません。性格屈明るく非常に社交的なので親密感の恐れから情緒交流を避けてるわけではありません)のですが、自分の性格や社会化の度合いなど、多分に愛着不全に合致するところがあり、前々からの疑問でした。
事実として基底欠損であるとしても、目に見える虐待とは違い、情緒的ネグレクトだけの場合、人生観や社会化が愛着不全ぽくなるという感触はおありですか…?試論でもお話いただけましたら幸いです。
私の主訴は終わらない思春期です(満36歳)
情緒的ネグレクト、つまり社会的ネグレクトですが、ここを見立てるのは難しい問題ですね。
■「情緒的ネグレクトは虐待である」は共通認識
精神疾患の診断基準であるDSM-5によると、情緒的ネグレクト(社会的ネグレクト)は愛着障害の診断の必須条件です。
つまり反応性アタッチメント障害や脱抑制型対人交流障害と診断するには、まずは「目に見えない」情緒的ネグレクトの存在が必要です。
そして虐待=愛着障害ですので、情緒的ネグレクトは虐待そのものとなります。
ですから「母からの情緒的ネグレクトによる愛着不全傾向」は正しい表現ではなく、「母からの情緒的ネグレクトによる愛着障害傾向」になります。
情緒的ネグレクトに関しては虐待とみなさない専門家がいるかどうかは分かりませんが、情緒的ネグレクトが虐待の条件であることを知らない、あるいは知っているが見落としている専門家は少なくないかもしれません。
■器質と愛着障害
そして情緒的ネグレクトだけの場合、人生観や社会化が愛着不全ぽくなるかどうかですが、人生観や社会化が愛着不全のようにみえることは在り得ると思います。あくまでもわたしの臨床体験による試論です。
人は成長していくにしたがって人生観を変化させます。その人生への構えというのは生育歴が影響しますが、それに支配されるわけではありません。そこは気質も大いに影響しているでしょう。その人の生まれつきの人生への構えですね。
情緒的ネグレクトだけを受けて育った場合、その人の気質が元来「開放的な」ものであった場合、大きくなるにしたがってその開放性が威力を発揮することもあります。それによって愛着障害を発症することから免れる(まぬがれる)場合もあるでしょう。虐待を受けているのですが、その影響が最小限になるのです。
こころの健康クリニック芝大門のサイトに、こんな記述がありました。
近年の行動遺伝学の見解では、子どものうちは親の育て方の影響(家庭環境要因)を大きく受けますが、思春期以降は、生まれつきの気質(もともとの状態:遺伝的要因)の影響によって行動パターンが決定されるということがわかっています。
これは
- 被虐児の元来の気質が、人生全般によい影響を与えることがある
という私の実感と同じものです。また上記に続いて、
そのため「反応性アタッチメント障害/反応性愛着障害」も「脱抑制型対人交流障害」も、成長段階で病態が変化します。
ともあります。これはかなり重要な知見です。たとえ愛着障害であっても、病態が変化して大人になるとなんとかやれるようになってくる人がいるということです。これは愛着臨床の希望ともいえる知見ではないでしょうか。
ただこの病態の変化というものがくせ者で、何を変化というのか、そこを微細に見立てゆく力が必要になってきます。しかし臨床家にとっては手の内が増えたわけなので大歓迎すべきものです。将棋でいうと、その駒があると王手をかけられる可能性が増えるのです。これから愛着臨床ももっと微細に対応できるようになるでしょう。
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こちらへのコメントが適切かわからないのですが、愛着があるのに虐待になるケース(愛着不全と愛着障害のグレーゾーン)は母親(養育者)のASDの程度が強い時にあるというお話を先日のラジオと、また過去の放送でも仰っており(記憶違いでしたらすみません)改めてお聞きしたく思いました。過去のnoteにもケースとしては稀だと書かれてたのですが、私は環境的にASD女性に接することが多く(囲碁、理系、エンジニア等)また自身にもasd・adhd 併発を疑っており個人的にASDは身近なので、ASDの程度がどれくらいだと情緒的ネグレクトになるのか?その程度の具体的な例とはどんなことか?(言葉の裏を読めない程度から公的な場所での感情爆発など様々だとは思うのですが)そんなことをお伺いしたく思いました。
コメントすみません。たいへん興味深く拝読しました。御回答の気質への考察で「開放的/開放性」の言葉がありましたが、こちらは辞書的な意味での「開放的/ありのままを見せて隠しだてしないさま。あけっぴろげ。(小学館デジタル大辞泉)」でしょうか?それとも性格診断のビッグファイブでの意味の「開放性/知的、美的、文化的に新しい経験への開放性を測定します。この因子が高い人は、知的好奇心が高く、想像力が豊かで、芸術的な関心が高いとされています。(ビッグ・ファイブ/日本の人事部)」のどちらのニュアンスで使われていますでしょうか?こまかい質問ですみません。ビッグファイブのほうは馴染みがないのですが「開放性」とも書かれてたので気になりました。