こんにちは。noteの記事『恐れ・回避型の本質は、不安と回避のアンビバレント行動ではなく、恐れが強調された愛着スタイル』https://note.com/soleapsy/n/n40296a33a0a0を読みました。
恐れ回避型とはfearfull avoidant つまり、恐怖がこうじて回避するのだという字義通りの解釈ですね。膝を打ちました。(回避dismissの亜流カテゴリーに属するならば、恐怖というより嫌悪disgustに近そうですね。得体の知れない気持ち悪い存在で、かつ自分に害をもたらす迷惑な存在には関わりたくないという様な心情でしょう。)
ここまでは納得なのですが、一方で、不安と回避のアンビバレントは本当にありえないのでしょうか?父親からは世界に対する恐怖を、母親からは基本的な安心感の部分的不在を植え付けられるという両親からのハイブリッドの愛着スタイルは可能性があるのではないでしょうか。例えば、父から各種虐待による愛着障害傾向、母からは情緒的ネグレクトによる愛着不全傾向を、というケースです。
というのは、愛着スタイルは愛着のように乳児期のみに主たる養育者のみから形成されるものではないと思うのですよね。
難しい質問ですね。ここは私の臨床経験と臨床スタイルに影響するところですので、いま考えているところをできるだけ言語化しておきたいと思います。
ハイブリッドの愛着スタイルはあり得るのでは?ということですが、確かにあるかもしれませんね。しかし、それがどうハイブリッドになるのかは検討が必要です。あれもこれもハイブリッドになるわけではないでしょう。
父から各種虐待による愛着障害傾向、母からは情緒的ネグレクトによる愛着不全傾向を、というケースです。
例にあげていただいたケースについては、私の場合どう解釈するかというと、
父親からは虐待による複雑性PTSDを、母親からは情緒的ネグレクトおよび父からの虐待を放置していることによる愛着障害を受けている
複雑性PTSD+愛着障害、このように解釈して治療を進めます。ここには愛着不全の話は出てきません。不安と回避のハイブリッドとは考えないのです。
そして質問者さんの「情緒的ネグレクトによる愛着不全傾向」というところは「情緒的ネグレクトによる愛着障害」というふうに読み直しが必要と考えます。
複雑性PTSDは愛着障害とほぼ同等のものと考えてよいでしょう。しかしそれを区別したほうがいい場合があります。それが上記の例です。そうすることで愛着障害のターゲットがより鮮明になるからです。その場合は複雑性PTSDを意識しながら愛着障害の治療になります。詳しくはnoteを見てください▽
▶複雑性PTSDと愛着障害(虐待)は同じですか?|ほぼ同じですが原因が違うことがあります
愛着スタイルは愛着のように乳児期のみに主たる養育者のみから形成されるものではないと思う
子どもが持っている愛着への構えを「愛着パターン」、大人が持っている愛着への構えを「愛着スタイル」といいます。そしてこれらは「愛着」というものに属しています。別物ではなく同じものです。愛着スタイルの遠景は、遥か昔の幼少期の基本的信頼感に集約されていきます。
たしかに愛着形成は、他の人間関係も影響はします。しかしその中でも養育者との関係が9割強(あるいはもっと高率で)の力を及ぼすと考えます。他との良い影響は救いではありますが、それが決定的なものにはならないところが、愛着障害のやっかいなところです。
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ラジオでは4つのポイントに絞って話しています。
▶恐れ回避型の愛着スタイルについて|ハイブリッドは存在しない?
■愛着スタイルの4ポイント
✅恐れ回避の恐れは、嫌悪ではなく恐怖。嫌悪はまだ余裕が感じられる
✅父親からの虐待は複雑性PTSDになる
✅母親からの情緒的ネグレクトは愛着障害になる
✅愛着(0〜2歳)→愛着パターン(学童期)→愛着スタイル(成人期)と変化する。だから愛着スタイルは「愛着」にしばられている。
ご回答ありがとうございました。
「不安」の意味を誤解していたようです。どうも私は被虐児側の人間のようなので、「見捨てられる事」そのものに対する不安は理解する事を出来なかった事に起因しています。
普通、見捨てられ不安とは、「養育義務を負うはずの親でさえこんなに簡単に子供である自分を捨てようとする。それなら、社会はもっともっと厳しい世界であり、余程能力が高くないと生活の糧を獲得するのは難しいだろう。私は出来るのだろうか?不安だなあ。」というようなものだと思うのですが、
高間先生の記事
「被虐児はずっと見捨てられてきたので、見捨てられ不安(恐怖)はありません。」によるとこれはむしろ「恐怖」に定義されるのですね。
それならば、恐れ不安のハイブリッドというより、回避型の愛着障害(複雑性ptsd付)という見立てが間違いないと思いました。
父からの虐待よりも母によるそれの方が本丸だったとは専門家じゃなきゃわからない視点ですね。恐れ入りました。