はじめまして。スタエフで推薦されてた高橋和巳先生の『親は選べないが人生は選べる』を拝読しました。
161頁の愛着障害についての言及、
いつも他者に対して「良心過剰」で「罪悪感に悩まされ」
について質問です。こちらは高間先生も見解は同じでしょうか?私は自分が愛着障害とは思えていないのですが、ここは該当します。良心過剰と自認することには正直抵抗がありますが、良心的でなければと強迫的な心理が働きます。客観的な視点からその自分を見ると過剰だし、その言動のために周囲とズレていること時折気づかされます。とくに成人してからはこの特性はマイナスに感じるようになりました。子供なら良い子で済みますが大人になってもこれをやってると周りはシラけますから。またこれは愛着不全の優等生タイプの思考パターンにも感じます。
いずれにしても「良心過剰」「罪悪感に悩まされる」の心理背景はどんなことがあるのでしょうか?
ありがとうございました。書籍では27ページにありました。
ここは虐待をうけた子どもについて書かれた部分ですね。その中で2つの視点を紹介しています。
- ボウルビィの愛着形成
- エリクソンの基本的信頼感の形成
これはどちらも同じことを言っており、だいたい2歳くらいまでに形成されるものです。
■愛着がない人の行動
ボウルビィによると、➊愛着形成に失敗すると「いつも他者に対して、良心過剰で罪悪感に悩まされ、そこにストレスがかかると神経症症状、うつ病、恐怖症を起こしやすい」
エリクソンによると、❷基本的信頼感を獲得できないと「母親や他人を信頼できず、ひとり引きこもって他人からの世話を拒絶して、人との交流を断ってしまう」
ボウルヴィの愛着形成➊の中で「いつも他者に対して良心過剰で罪悪感」が出てくるのですが、この➊と➋の文章を読むと、❷のほうがより虐待を受けた人々の心情に迫っているようです。実際私は❷の説明をよくします。けれど➊も❷も愛着がない世界で生き抜いてきたことを考えると、同じなんですね。
■愛着がある人々の行動
良心過剰の罪悪感については、愛着のある人も持っていることがあります。それが質問者さんのいうところの「愛着不全の優等生タイプの思考パターン」です。小学生の倫理規範のまま愛着の中を生きているのです。その人々も、その規範のまま社会へ出て生きていくのはしんどいのですが、愛着障害とは違う生きづらさです。
この部分だけ抜き取ると愛着不全とも思えますが、このストレスで神経症(不安障害や恐怖症)、うつ病になるというところから考えると、精神年齢は成人期に達した人々を対象としていることがわかります。すると愛着不全ではありません。かりそめの成人期を持つ愛着障害の人々(あるいは思春期につまづきのある成人期の人)だとわかります。
- 神経症やうつ病は葛藤を前提としており精神年齢が成人期です。
- 愛着不全の人は新型うつ病や身体化症状がメインであり精神年齢は学童期(思春期)です。
またエリクソンの❷の説明で「ひとり引きこもって他人からの世話を拒絶して、人との交流を断ってしまう」とあります。「ひとり引きこもる」という表現から愛着不全(思春期心性)のように捉えがちですが、思春期心性の引きこもりは「他人と交流したくてたまらないけれど友だちがいないので引きこもっている」という行動です。他人からの世話を拒絶しているようにみえて、見捨てるな!と大きな期待を背景にした拒絶です。
ここが愛着障害とは決定的に違うのですね。愛着障害の人には人との交流が断たれる恐怖はありません。すでに人生早期から見捨てられてしまっているからです。こちらのnoteをお読みください。
▶被虐児はずっと見捨てられてきたので、見捨てられ不安(恐怖)はありません。
こうやってその行動だけを抽出すると、愛着障害とも愛着不全とも取れてしまうので、前後の文脈が大切になってくるのです。特に心理職が見立てをする場合は、何か単一の行動から判断することのないようにしましょう。日々の臨床の中、そうやって見立て違いをされているクライエントさんに多く遭遇するのも事実です。
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