こんにちは。いつも勉強させて頂いています。年の瀬ご多用中に失礼いたします。標題の件について質問させてください。
私は愛着不全なのか情緒的ネグレクト由来の愛着障害か自分では分からないのですが、長い間内省を繰り返した結果両親に対するファンタジーは大分壊れつつあるように感じています。
自分が愛情であると両親に思わされてきたものが実はそうではなかった。彼らの言動には確かな根拠などなかった。それが分かると自分の歪んだ認知は解消されつつあります。対人恐怖や絶望的なニヒリズムに苦しめれることがほぼなくなりました。
しかし、ファンタジー崩壊とともに一方で、やるせなさと圧倒的な寒々しさが自分を襲ってきました。
以前、私は苦しくて仕方がないけれど「世界はオアシスであるはずだ」と思っていましたし、そう思い込むように努めていました。私には縁がないだけで。ファンタジー崩壊後は眼前に見えていたのは実は(かつて思っていた通り)茫漠とした荒野だったと気づきました。猛烈に寒々しい荒野です。
自分にはこの世界に何の拠り所もなく生きてきたのだなあと気付いたら、身体が震えるように寒くて、どうやってこれから生きていけるのか。圧倒され悲しみなのかよくわからない気持ち悪さに襲われています。生きる意味は消えました。(そのくせに何故か身体は生命力の萌芽を感じて絶望感がありませんが。)
さらに辛いのは以下です。
それでも、両親との間に大切な思い出(だったと思いこんできたもの)もあるのです。ファンタジー崩壊とともにその思い出も無価値であったと思わざる得ないのですが、それが苦しくて心の整理がつきません。愛のない世界に生きてきたと認めたくないだけかもしれませんがやるせない。
対処の仕方を助言頂きたいです。
乱文失礼しました。
ソレアの記事にいろいろと書いていますので、それをまず読んでいただくのがいいかと思います。
■母親へのファンタジー崩壊について
ファンタジーとは母親(養育者)へ対しての幻想です。あなたの場合、それが崩壊したのかどうかは分かりません。崩壊の前には、恐怖と怒りの時代があり、そこをくぐり抜けることでファンタジーは怒りによって崩壊していきます。
そのあとにやってくるのは静かなかなしみです。頭で考えるのではなく、こころで感情を感じてみて、それがかなしみであれば確実にファンタジーは崩壊したといえるでしょう。頭で理解するのと、こころ(身体)で腑に落ちるのとでは全然違います。感情を感じるのは難しいことですが、何年もかかるかもしれませんが、その道を確実に歩めますように。
ファンタジー崩壊後の世界についてはnoteを参考にしてください。ファンタジーは一気に壊れる人もいれば時間をかけてポロポロと崩壊していく人もいます。
▶愛着障害の人の母親へのファンタジー崩壊後の世界について|それは平和にやってくる
■愛情と愛着は違います
愛着はゆるぎないものですが、愛情はいささか問題のあるものです。仏教のYouTubeのリンクつきで記事を書いていますので、よければご覧ください。
▶愛着は母と子のきずな|愛情は親子・恋人・友人とのきずな(2022.09.18追記)
またMRの母親に育てられた子どもの記事もございます。途中までは順調だったけれど、成人してからつまづいている方です。