いわゆる飛び地の話をしていて、埼玉県新座市片山三丁目の中に、東京都練馬区西大泉町があると言ったら、
都道府県を跨いだ飛び地なんてあるわけないだろ!配達とか水道とかどうすんだ!と怒鳴られました。
配達とか水道のことまでは正直わかりませんが(汗)
東京都町田市や八王子市と、神奈川県相模原市は、土地の交換して飛び地減らして解消する動きがありますし、練馬区と新座市のこの飛び地があることは事実なので言い返そうと思ったのですが、
怒鳴られたり、あるいは不快な顔されると、こちらもキレそうになりますし、キレるのを飲み込んで黙ったり、流したりするのが精一杯です。
誰といても、親との関係をリプレイ再生してるようで、しんどいです。
たしかに新座市の中に東京都の飛び地はあります。わたしが飛び地というものを知ったのは高校生の頃だったかと思います。記憶が正しいかどうかわかりませんが、永六輔がラジオで話していて、へーと聴いていたかな。永六輔と遠藤康子アナの時代でした。
こういう「事実」はいまはスマホの時代ですので、ちょっと待って…ほら!と見せてあげればすぐに解決しそうです。
■目にみえないものは理解しにくい
しかしはっきりとした事実として示せないものには、こういう人は抵抗をしがちかもしれません。たとえば心理的な話とか目にみえませんので、ネット記事を示しても理解不能に陥る可能性があります。
わたしはよく、目にみえない虐待のことを話しをします。情緒的ネグレクトですね。ああいったものは心理職でさえも見落とすのです。情緒的ネグレクトの話をしてもよく分からないのです。なぜ分からないかというと、親からの愛着を受けてこなかったという状況が想像できないからです。「愛着ありき」の世界で成長しているので、それが「ない」世界が分かりません。
この「ない」ことを理解させるのは難しいです。実際のカウンセリングの中で本人に説明しても、親へのファンタジーがありますから、それを理解できないというか、無意識的には理解したくない気持ちが働きます。
■理解したくないこと
この「理解したくない」というのは通常の日常会話の中にも潜んでいるでしょう。
自分が会話の中で抵抗を覚えたこと。そこには「理解したくない」こころが、会話に抵抗している可能性があります。たとえば質問者さんの例でいうと、飛び地のことを教えたのに全否定されてしまったことがその例です。
ご本人としては、受け入れてもらえると思って話したのに、その真逆なことが起きてしまってこころが動揺しています。この体験の中に、理不尽な思いを抱いたのでしょう。そしてそれが親子関係の再演のように感じたから、余計にキレそうになったのでしょう。
理不尽なことは誰も経験したくないし、それが親子関係を想起させるものならなおさらでしょう。
■コミュニケーションを取らないこと|毒をもって毒を制す
とすると、
➊親子関係の理解を進めることが1つの方法です。親への怒り(期待)がまだ解消されていないかもしれません。
ただ親子関係の理解は簡単には進みませんので、ひとまずは、
➋理不尽なことをいう人とは話さないことです。
無言になると孤立してしまう、と思うかもしれません。しかしあえてこちらから「話さないぞ!」という気持ちをもっていると、相手よりも優位に立てるものです。
なんかマウント合戦のように思うかもしれませんが、理不尽対応としてはかなりの良い作戦です。コミュニケーションを取ることが良いとされる世の中ですが、コミュニケーションを取らないという選択肢もあるのです。
- 孤立を率先して選ぶことで、孤立から距離が取れて、逆に孤立しなくなる。
しゃべってはいないけれど、意固地になってそれを通そうとしているわけではないことに気づきます。
コミュニケーションを取らないという方法は、上の法則をめざしています。毒をもって毒を征す。ホメオパシーのような感じですね。
この劇薬的な方法が効いてくるのは、自分に信頼して相談できる人がいる場合です。カウンセラーでもいいでしょう。カウンセラーは世の中とつながっている人です。カウンセラーを通して世の中とつながっていれば、孤立している感覚は薄れるはずです。心おきなく孤立していけるでしょう。
そして「孤立することで逆に孤立しなくなる」という体験をされると、自分が世の中に対して自由にふるまっている姿が見えてくるかもしれません。軽い気持ちで世の中の人と関われるようになるでしょう。これが回復です☺
ちなみに、新座市にある東京都の飛び地は、電気、水道、ガスなどのインフラは新座市が提供しているようです。