Twitterにあった自分を喜ばせることをする、に関して質問があります。
私は、自分を喜ばせることが全然できません。
疲れているのに自己嫌悪になるから休めないし、辛さを紛らわすために過食嘔吐してさらにぐったりしています。
旦那さんに対して、もっと私を大切にしてほしい、もっとちゃんと話を聞いてほしい、もっと褒めてほしい、もっと私を満たしてほしいみたいな気持ちになります。自分で自分を喜ばせることができている人はそれほど他人に求めることはないのでしょうか?
自分を喜ばせることは最終目標のようなものなので、それができないと言って落ち込むことはありません。40~60代で達成できればいいのではないでしょうか。それくらい難しいことなんですね。難しいことなんだと分かっていればいいですよ。
自分にキツク当たることは、この社会に生きている限りは避けては通れない道です。ここが楽園であったとしても、自分を責める方向へいってしまうのが「社会人」というものです。
セルフネグレクトという言葉があります。自分で自分をケアすることを放棄した人々のことですが、誰しもこの傾向はあるのでしょう。社会で生きようとする限り自分を責めてしまう。
仕事を休めない、過食嘔吐する、「私を満たしてほしい」あなたは、そんな「社会に必死で生きる人」なのでしょう。それは社会人ということなので、それを止める必要はないですし、いまと違う何かを探す必要もありません。
■すき間恐怖
仕事や食べ物、他人からの称賛で、あなたのこころの中にある【すき間】を必死に埋めようとしているのでしょうか。そのすき間のある状態がとても怖いのですね。
このすき間恐怖によって、こころをぎっしりとさせておくことでなんとかバランスを保っているのでしょう。少しでもすき間ができたら不安になってそこを満たそうとするのでしょう。
いまの状態のままで、ほんのコンマ何秒でもいいので、かげろうのような余裕(すき間)の断片を一瞬でいいので感じることができるといいですね。
本当のすき間時間を作っちゃうと、それを埋めることに必死になるので、かげろう(断片のようなもの)でいいのです。休む必要はないので、みっしりとした活動している時間の中に、まぼろしでもいいので、あなたのかげろうを見つけてください。
- そのかげろうはあなたを救ってくれるはずです。
かげろうは追いかけると逃げていってしまいます。かげろうを逃がさないコツは、
- 追いかけないこと。
- 直視するのではなく、その気配を横目の淵で感じていること。
すき間恐怖とは私の造語で、ググっても出てこないでしょう。これは愛着の問題のない安定型愛着スタイルの人にも見受けられるものです。
愛着障害や愛着不全の人にも見られます。安定型の人は厳しい倫理規範を持っている人が該当します。その親は愛着障害である可能性があります。
コメントをいただいた方は焦燥感でぎっしりと詰め込むわけですね。詰め込むものは人によって違いますね。しかし愛着スタイルには影響されないようです。
■クジラの跳躍
今回の私の回答は、コメントさんの言うような「すき間に身をゆだねる」という話ではなかったのです。すき間を横目で感じながら(直視はしません)、一瞬で息継ぎをするようなイメージです。深い海から上昇して水面で大ジャンプとともに潮を吹き、海上の酸素を肺へ招き入れるマッコウクジラのようなものです。そして彼はまた深海へ消えていきます。
こんな大ジャンプができれば、すき間を埋めることなく自分を喜ばせることになるでしょう☺一瞬ですが、それはあなたを助ける行動になるでしょう。
■スタエフのレターにいただいたコメントです■
今朝の質問箱のセルフネグレクトと「すき間恐怖」というおはなしがありましたが、このすき間とは、愛着障害、愛着不全どちらにもあるものですか?
わたしもすき間があるのか、みっしりと何かを詰めていないと落ち着きません。たいていは、その落ち着かないという焦燥感を詰めてますが…焦燥を詰めることで行動に駆り立てられるので、すき間をいっとき隠すことができます。
でもすき間はいつもパックリと背中のほうにあいていて、実はそれに身をゆだねたほうが静寂が訪れるということも知ってる気がします。先生はそのことをあの文章でお伝えしようとしてたのでしょうか?
でもじゃあどうしてすき間を避けるのかというと、すき間を受け入れたら、もうこの社会ではやっていけない気がするからだと思います。とりとめなく失礼しました。