ペルソナと倫理規範は、この概念を説明するためのものさしが違います。例えば、ペルソナが重量で表現されるとしたら、倫理規範はメートルで表現されるようなもので、比べようがありません。
しかしこの両者、似ているような気持ちにさせられた質問者さんの問いは理解できます☺
この問いに答える前に倫理規範の復習をしておきます。
・倫理規範は生き方のこと
倫理規範とは人間としての生き方です。成人期になるころにはその生き方の大枠が決定されます。愛着不全の人は、モラトリアム状態に入っていることが多いので倫理規範は脆弱です。愛着障害の人は、かりそめの倫理規範を構築します。参考noteのリンクを張っておきます。ソレアの記事も読んでみてください。
▶【倫理規範】愛着障害はあばら家、愛着不全は御殿|どちらも簡素な家が心地良い
臨機規範とは生き方のことですが、上の記事群をざっと読んでいただけると印象はつかんでいただけると思います。
・ペルソナは倫理規範か?|【結論】その一部ではあるでしょう
ペルソナはユングの概念ですが、仮面と訳されています。ペルソナに対抗するものがシャドー(影)です。私の話によく出てくるあの「影」ですね。
仮面は、仮の姿、建前、忖度(そんたく)とも近いかもしれません。若者から最も嫌われる言葉であり、何か安っぽいもののように映るかもしれません。しかし仮面こそ社会化と同義語と考えると、この仮面、あなどれません。
社会化しないと社会へ出ていきません。つまり成人に成れません。成人期に入れない思春期のままです。自分で責任を負うことができません。ここまで話を広げていくと、アイデンティティという言葉に接近していくでしょう。
- ペルソナ→社会化→アイデンティティの形成
こんなジャンルに入っているのがペルソナであると思います。そしてアイデンティティの形成こそ、倫理規範の構築のことであるので、ペルソナの源流には倫理規範が居るわけです。
ペルソナの意味をユング派に訪ねても上のような解説はどこにもありませんが、私はペルソナをそのように考えています。ですからシャドーと同じく、重要な概念ですね。
コメントありがとうございます。前半部は質問者さんの指摘の通りです。noteの記事のリンクを張っておきます。
▶マインドブロック(認知の歪みや倫理規範)はあなたのお友だちかも!?
△こちらは一般的な話、安定型愛着スタイルの人々の話です。自分の生き方として血となり肉になっている規範です。この話が、倫理規範のベーシックな理解であると思っていただいて良いです。ですから、質問者さんも「納得」できたのでしょう。(たぶんあなたは安定型の人でしょう☺)
▶【倫理規範】愛着障害はあばら家、愛着不全は御殿|どちらも簡素な家が心地良い
△こちらは特殊なケース、回避型と不安型愛着スタイルの人々の話です。回避型はかりそめの倫理規範で、不安型は規範構築中の話ですね。彼らが倫理規範を構築していくことは、エベレスト登山や富士山登山100回だったりするので、それはそれはとても大変です。あなたが「恐ろしいこと」と言われているのは、その通りなのです。
ただ別人格に生まれ変わるという感じではなく、自分の本態は継続され、その上に規範が作られます。これは当たり前といえば当たり前のことでしょう。
たとえば重力は同じで、地球という重力の上に新しい家が構築されていくような感じです。システムは破壊されようもない、重力は同じ、ということでしょうか。システムは残っているーそれは彼らの希望になります。そのときは従来の壊れた規範のかけらも、使えれば使っていくこともあるでしょう。
丁寧なご回答痛み入ります。ペルソナは倫理規範の一部とのこと参考記事拝読して何となく掴めたのですが、また新たな疑問が湧いてしまいすみません。
noteの連続した記事「マインドブロック(認知の歪みや倫理規範)はあなたのお友だちかも!?」と「【倫理規範】愛着障害はあばら家、愛着不全は御殿|どちらも簡素な家が心地良い」について。
先の記事で倫理規範は友だち(自分の一部)だから仲良くすべし、とありとても納得感がありました。
ですが、次の記事では、倫理規範はぶっ壊して更地になってから、新たに構築することが回復と読めて…??となってます(笑)
これは不安定型愛着スタイル(回避型および不安型)に言及したことで、先のブロック外しはナンセンスの方は広く一般(安定型愛着スタイルの倫理規範)に向けての言及ということでしょうか?
そうだとしても、一度作った(或いは親から受け継いでる)倫理規範を基礎も全て取り払うというのは、恐ろしいことに感じました。
だから一回のエベレスト登山、100回の富士登山に例えられたのでしょうか?倫理規範(アイデンティティ)が新しく出来上がるというのは、別人格に生まれ変わるくらいのことに感じます。
思い出写真としてアルバムに収まり、記憶にはあるけどアイデンティティとしてはもう使われないということでしょうか?新しいアイデンティティのごく一部としても全く一切利用されずに、ということでしょうか?