母親へのファンタジーを持ってる自覚はないのですが、自分が情緒的ネグレクトなり何らかのネグレクトを受けてたと認めることには抵抗があります。
かりに私が安定型愛着スタイルであったとしてもそれが普通の感覚だと思うのですが…。
それとも自分が虐待されたと認めがたいのは被虐者がより顕著なのでしょうか?
ときどきネットなどで自分で虐待されたとご自身で仰る方がおられますが、あれはファンタジーが壊れた直後の怒りの発露なのでしょうか? 数ヶ月から数年続くものですか?
高間先生のサイトの記事だったかと思うのですが、中井久夫先生の文章で「戦争でのPTSD体験を近親者にも語らなかった人がその後の人生で精神的に安定していた」とあったと記憶してます。それは感覚的にとてもわかる気がします。何度も語ることは怒りの発露として回復には必然なのでしょうか?
私は母親への怒りは自覚しましたが、語りたくありません。もうそこから遠く離れたいです。遠い昔話のように。
□この質問は、Twitterによせられた質問をソレア質問箱に再録したものです□
母親への怒りをもう語りたくないとおっしゃるあなた、そのご自身の気持ちを大切にしてください。
愛着セラピーとはトラウマセラピーのことですが、世の中の心理療法は核心部を話すことを強要します。しかし核心部はヤバいのです。致命傷になる、命取りになることも、カウンセラーはわきまえておく必要があります。
だから母親への怒りはあなたにとっては核心部のように思えますので、そこはよほど気をつけて進んだほうがいいでしょう。クレバスに落ちないよう、薄氷を踏みぬかぬよう。
今回のポイントは3つです▼
□ポイントは3つ▼
❶ 愛着障害の臨床では2つの山がある。一つ目は親の脳機能の問題を告げるとき、二つ目は虐待を告げるとき。
➋ 安定型の愛着のある場合で暴力があったとしてはそれは虐待ではないので、虐待とは告げない。暴発的なもの
❸ 話したくないBIGトラウマ(PTSD)は語る必要はない。母との愛着の話ーSmallトラウマは、「語り、語らず」を繰り返し、ファンタジーが壊れるのを待つ。これについてはnoteで書いています。参考にしてください。
▶トラウマに向き合うなんてできません|【回答】向き合う必要はありません。
□対応は▼
✔ 語り、語らず。ファンタジー壊るる(こわるる)
あるときは語り、あるときは押し黙る。そうやって徐々に母親(養育者)へのファンタジー(幻想)というものは崩壊していくものだ。
この質問についてはラジオ(スタエフ)でも取り上げています。よろしければどうぞ。