6日のレター返し大変お疲れ様でした。日曜レター返し少々おつかれとのことでお休みありかも?とのこと、リスナーとして先生がご無理のないペースで是非お願い頂きたいです!いつもありがとうございます。
といいつつ放送それに対しての早速の質問で申し訳ないのですが…生きるスキルとは「共感するスキル」とのことですがファンタジーが壊れて安全基地が出来たとしても普通何十年もかけて磨いてくスキルを短期間で獲得できるものでしょうか?普通の人のようにはいかないけれど社会で燃え尽きずにやっていけるだけのスキルは短期間でも習得できるということでしょうか…?
これに関しては以前からとても気になっておりまして。安全基地が出来たとしても社会的スキルは一朝一夕には出来ないだろうと想像してて。それまでに作り上げてたかりそめの成人期の強度や完成度によるとは想像するのですが…。
生きるためのスキルの出典は、この記事ですね▽
▶人間関係のイロハを教えてくれなかった母親だけど、大人になるまで葛藤なく過ごせました
- 被虐児は母親から情緒的ネグレクトを受け、
- 人と共感することが学べなかった。(人と共感し合うことが「生きるスキル」です。)
- 基本的信頼感を育てることができなかった。
- そのため他人が怖くなって、信用できなくなって、世界の中で生きるのが怖くなった。
- 世界が怖くなる時期は多くの場合は幼少期からだが、上のnoteの人の場合は、社会に出てから恐怖に襲われて、人間関係が不調になった。
こんな順番ですね。特に社会に出る時期というのは、かりそめの成人期として生きる時期で、発達課題として「親密」の課題が浮上してくる時期です。被虐者が一番つまづくのがこの親密性です。
ここで少し深掘りすると、
- 母親には共感能力がなかったが、
- この子どもには元々その共感能力が備わっている
ということです。脳機能の問題がなければ共感はできるのです。だから社会に出るまでその共感能力を発揮して子どもの世界を生きていけたわけです。
普通の人は母親との共感の交流を通して、世界の安全性を確認していきますが、被虐者はそれが抜け落ちているわけです。安全感はありませんが、おそるおそる共感する世界をかいま見ています。恐怖と羨望と絶望のはざまで共感を感じ取っています。
しかしそれでは生きていけないので、安全感は喪失したままですが、なんとか自分の能力を発揮して小さな窓から外の世界を伺いながら共感の中を生きようとします。
ですから安全基地はなくとも、わずかながらの共感の世界は感じながら生きているのです。しかし安全基地がないため、その世界もどことなく恐怖で彩られています。本来なら恐怖とは縁遠い世界ですが、そうはいかないところに被虐者の苦悩があるのです。
ファンタジーが壊れて安全基地が出来たとしても普通何十年もかけて磨いてくスキルを短期間で獲得できるものでしょうか?
母親との共感を通じて構築する安全基地はありませんが、共感するスキルは元々ありますから、ファンタジーが崩壊してから共感能力を獲得するわけではありません。ファンタジーが崩壊して獲得できるのは安全基地です。その安全基地の中で生活していく中で、恐怖で共感していたものが、おだやかに共感できるようになっていくのです。