2022.10.27noteに早速の質問すみません!
「目にみえる虐待+目にみえない虐待」が愛着障害です。言葉を代えると「複雑性PTSD+自己の障害」が愛着障害です。
とのことですが、目に見えない虐待(社会的(情緒的)ネグレクト単体ですと、愛着障害ではなく「自己の障害」単体ということになるのでしょうか…?そして複雑性PTSDではないということでしょうか…?かりにそうだとして複雑性PTSDはなく自己の障害単体の場合ですと症状はどのようなものでしょうか?
高橋和巳先生の『子は親を救うために「心の病」になる』では目に見える虐待と目に見えない虐待単体を章分けされて別に扱ってるとも読めますが『消えたい』の方では分けてらっしゃらない、というか「消えたい」の方は主に目に見える虐待に焦点が当たっており「子は親を〜」の方は社会的ネグレクトへの言及が印象深く感じられました。本ごとにテーマを変えてらっしゃるのか「消えたい」の方が後に書かれてるので、分けずに一緒に扱われるようになったのか…いずれにしても誤読な気はしており…訂正、ご教授頂けましたら幸いです。
さっそくのご質問ありがとうございます。こちらの記事ですね。
▶複雑性PTSDと愛着障害(虐待)は同じですか?|ほぼ同じですが原因が違うことがあります
愛着障害は目に見えない虐待が中心にあるとお考えください。社会的ネグレクトが虐待問題の本態です。
- 目に見える虐待(複雑性PTSD)がある場合は必ず、目に見えない虐待(自己の障害)も同時進行しています。
- 目に見えない虐待(自己の障害)だけの場合も多く、それも虐待に変わりありません。愛着障害として扱います。
つまり、自己の障害がベースにあって、その上に複雑性PTSDが乗っかっているような感じです。これらをひとまとめにして「愛着障害」といいます。
高橋先生の「消えたい」は虐待のケースのみ、「子は親を救うために…」は様々なケースが書かれています。発行年から考えると、まず様々なケースを提示して、その後虐待に絞ったのでは?と推測しています。そのほうが理解が深まるでしょう。愛着がなかったという特殊なケースを最初に提示しても、愛着のある人々の理解が追い付かないからそうしたのではないか、と勝手に推測しています。
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