ダブルバインドが子どもに及ぼす影響について、愛着の観点からみるとどのようなことが言えるでしょうか?
ダブルバインドとはベイトソンの造語で、二重拘束という意味です。下記のような親子間のやりとりですね。
- 親が二つの矛盾したメッセージを出す
- 子はどちらのメッセージに反応していいか分からなくなって混乱する
ベイトソンは当初、統合失調症を作る親という概念で、かなりヘビーな症例を想定していました。質問者さんも、養育者による、と書かれているので、そのようなものを想定していらっしゃるのかもしれません。しかし現在では、日常会話に潜むダブルバインド的な見方が優勢でしょう。それゆえ使い勝手のよい言葉にこなれていっているように思います。
■ダブルバインドの例とダブルバインドを避ける方法
たとえば
- 親:どの大学を選んでもいいよ
- 子:旅が好きだから、立教大学の観光学部にする!
- 親:お願いだから医学部へ行ってちょうだい
どの大学でもいいと言っておきながら、医学部という選択ありきの矛盾したメッセージです。この状態を作らないためには、子どもを受容することが必要。
- 親:あなたは本当に旅行が好きね
- 子:うん。旅が好きだから、立教大学の観光学部に行きたい!
- 親:がんばりなさい
こんな感じですね。親自身の視線を子どもと同じ方向に向かせることです。
■ダブルバインドと愛着
ダブルバインドは知らず知らずに私たちが使っているコミュニケーションです。つまり愛着ありきのコミュニケーションともいえます。愛着はありますが、人間関係に不調をもたらすこともあります。
逆に愛着がない場合はダブルバインドは発生しない可能性があります。子どものことはどうでもいいからです。つまりネグレクトですね。
虐待は社会的ネグレクトがベースにあり、これは情緒交流を無視したコミュニケーションです。
- ダブルバインドは、子どものことを心配しての矛盾した、熱すぎるメッセージ
これが頻発すると機能不全家族を形成するでしょう。
- (社会的)ネグレクトは、子どものことを心配していない、愛情を感じることができない、冷たいメッセージ。
これが頻発すると虐待事例になります。ここから心理的虐待につながっていく可能性もあります。
■治療的ダブルバインド
現代催眠ではこのダブルバインドを覚醒下で治療的に使います。M.エリクソンが好んで使いました。私もカウンセリングの中で、意識的に使っています。しかし、相談者の方はそれがわからないくらいの微妙な言葉つかいをしています。それでないと、催眠とは言えないのですね。
すでにその状態を生きていることを前提に話をするようなとき、治療的ダブルバインドが活きてくるでしょう。助詞ひとつの使い方でも、治療的に使えます。
わたしの治療に影響しますので、詳細は企業秘密。笑。