回復過程で、学童期、思春期を体験して成人期になるということであってますか?
その過程は、気分や空想、夢ではなく、実際に(ぽっぽや)のような実体験を伴うということで合ってますか?
その実体験は愛着障害の当人は、その体験をどのような体験として感じている?のでしょうか。
愛着障害の回復後まで見ていても、そのような実体験をして回復には至ったケースを見たことありません。深く気づきを得て納得していく中で成人期に近づき落ち着いていくように見えます。
愛着障害の回復過程はとても興味のつきないものです。
高橋和巳先生はその回復を、ワープするとかいう言葉を使っていたかと思います。それは、治る寸前の臨界期に達したら一気に回復が進むということを表現した言葉でしょう。
実際、カウンセラーのあなたはそのように感じていらっしゃる。「深く気づきを得て納得していく中で成人期に近づき落ち着いていく」真摯に臨床を重ねているあなたの姿が目に映ります。
実際に回復はそのように進みますが、もっとミクロの目でみると各発達段階を一気に駆け上っているような印象を受ける人もいます。実際にそのようなことを報告する人が少なからずいるのです。ぽっぽやのような、夢のような体験を現実の中で体験するのです。それは一種の白昼夢のようにも見えるでしょう。
これは精神の発達を体験しているということです。幼児期→学童期→思春期→成人期。
このように報告する人もいるということです。もちろん全員そうだというわけでありません。高橋先生のいうワープしている感じの人も多いです。しかしそれだけではないですし、他の先生方(斉藤学先生など)も、変化した未来の自分に街中の交差点で出会う話も書かれているように、珍しいことでもないでしょう。
ソレアにも似たような記事がありますので、そちらもお読みください。タマシイの発達の2記事です。