以前専門家に回避型愛着スタイルと言われ、確かに自分は回避傾向があるのでその時は腑に落ちて、回避的な自分を受け入れて楽になれたのですが、後々ネットやソレアさんのnoteで回避型愛着スタイルは虐待の結果であり複雑性PTSDと同義と理解し、若干動揺というか自己認識と違いどう考えればいいのか…と思いつつ、ソレアさんに勉強させていただいております。ありがとうございます。
私は確かに親への期待はなく、子供の頃から辛いことは生きてれば誰にでもあるから、人に訴えたり慰めて貰おうという発想はありませんでした。それにそうされる方が嫌です。
質問箱で、愛着があるから分かってほしい受け入れて欲しいという怒りや期待があることを理解し、その観点でいくと自分は確かに愛着を知らないのかもしれないと思うのです。
しかしそれがイコール虐待とかトラウマとか複雑性PTSDとかには思えないと言いますか…。
目に見える虐待は無かったので、本当に回避型だとしたら情緒的ネグレクトだと思うのですが、情緒的ネグレクトも虐待…なのでしょうか?
抵抗があるというより…リストカットや過食嘔吐なども無く生きてきて、大変な思いをして生きてる方々より診断名が重くなってしまう感じで違和感があるんだと思います。
情緒的ネグレクトは目にみえない虐待です。
目にみえる虐待+目にみえない虐待=愛着障害の公式に当てはめると、情緒的ネグレクト=愛着障害になります。
情緒的ネグレクトというのは虐待の根幹にあるものですので、目にみえる虐待が行われいると、必ず情緒的ネグレクトがあると思っていただいて結構です。
心理職の人でない限り、細かく分類する必要はなく、愛着障害=複雑性PTSD=過敏型の自己愛性パーソナリティ障害と考えていただいていいでしょう。こう考えていれば本質を外していませんから。治療方針はすべて同じですから。つまり「愛着の治癒」ということです。
カウンセリングでもないのに混み入った質問にお応え下り誠にありがとうございました。母は手帳持ちの脳機能障害なので情緒的ネグレクトの可能性を頭では考えてましたが、暴力があったわけじゃないので虐待や激しい母子葛藤に遭われてる方々と自分を同列に仮定でも置くことに申し訳なさがありこのような質問をさせて頂きました。
愛着の治癒、過敏型の自己愛性パーソナリティ障害について、ソレアさんのHPを再読させて頂きよく考えたいと思います。ありがとうございました。