以前専門家に回避型愛着スタイルと言われ、確かに自分は回避傾向があるのでその時は腑に落ちて、回避的な自分を受け入れて楽になれたのですが、後々ネットやソレアさんのnoteで回避型愛着スタイルは虐待の結果であり複雑性PTSDと同義と理解し、若干動揺というか自己認識と違いどう考えればいいのか…と思いつつ、ソレアさんに勉強させていただいております。ありがとうございます。
私は確かに親への期待はなく、子供の頃から辛いことは生きてれば誰にでもあるから、人に訴えたり慰めて貰おうという発想はありませんでした。それにそうされる方が嫌です。
質問箱で、愛着があるから分かってほしい受け入れて欲しいという怒りや期待があることを理解し、その観点でいくと自分は確かに愛着を知らないのかもしれないと思うのです。
しかしそれがイコール虐待とかトラウマとか複雑性PTSDとかには思えないと言いますか…。
目に見える虐待は無かったので、本当に回避型だとしたら情緒的ネグレクトだと思うのですが、情緒的ネグレクトも虐待…なのでしょうか?
抵抗があるというより…リストカットや過食嘔吐なども無く生きてきて、大変な思いをして生きてる方々より診断名が重くなってしまう感じで違和感があるんだと思います。
結論から申し上げると、情緒的ネグレクトは虐待です。DSM-5の愛着障害の項目に明記されています。簡単にいうと、
- 情緒的ネグレクトは「目にみえない虐待」です。
- そして複雑性PTSDは「目に見える虐待」です。
情緒的ネグレクトと複雑性PTSDの差はここにあります。この「目にみえる虐待」と「目にみえない虐待」の基準を発見されたのは精神科医の高橋和巳先生です。
話を複雑にしないために整理しておくと、情緒的ネグレクト(社会的ネグレクト)は行動であって症状ではありません。
■虐待を行動で考える
- 目にみえる虐待を行動で捉えると、性的虐待、身体的虐待、心理的虐待、ネグレクト(育児放棄)です。
- 目にみえない虐待を行動で捉えると、情緒的ネグレクトです。
■虐待を症状で考える
- 目にみえる虐待を症状で捉えると、複雑性PTSD
- 目にみえない虐待を症状で捉えると、過敏型の自己愛性パーソナリティ障害(コフートによる自己の障害)
では愛着障害は何なのか?というと、
- 目にみえる虐待+目にみえない虐待 です。
※複雑性PTSDについては参考記事のリンクを張っておきます▽
▶複雑性PTSDと愛着障害(虐待)は同じですか?|ほぼ同じですが原因が違うことがあります
質問者さんが回避型の愛着スタイルであるかどうかはよく分かりません。回避傾向というのは、何も回避型の人にあるだけでなく安定型愛着スタイルの人にもあります。
■回避傾向について
回避傾向というのもは、回避型愛着スタイルの人だけでなく、広く他の愛着スタイルにも見られるものです。
たとえば被虐者の子ども(被虐二世)は安定型であるものの、回避傾向が強いです。そうすると「虐待はされていなかった(情緒的ネグレクトもなかった)が回避傾向が強い」という人が少なからず存在するということになります。
しかし質問者さんがそれに当たるかは分かりません。このへんを見立てていくには、質問者さんの母親とその祖父母の関係性を精査していく必要があるでしょう。そして、あなたの回避傾向が回避型愛着スタイルから来ているものだと分かれば、「それは情緒的ネグレクトだったね…」という話になります。
□この回答について意見などをきかせてください。コメント欄でお待ちしております。
□質問箱リストへ戻る https://solea.me/questions/
大変興味深く拝読しました。
「回答について意見などをきかせてください。コメント欄でお待ちしております。」とのことで、こちらに質問を続けさせて頂いてよろしいでしょうか?失礼致します。
愛着障害は、
目に見える虐待+目に見えない虐待
とのことで、情緒的ネグレクトだけの場合、虐待、ではあるけれど、愛着障害ではなく〝過敏型の自己愛性パーソナリティ障害〟ということでしょうか?
そうしますと、愛着障害と、過敏型の自己愛性パーソナリティ障害の違いは、どのようなものがあるのでしょうか?
症状や、自己認識、親密の恐れなどに。