・親は少しキビシイだけなのに子どもの自分は不調だ
・親は分かってくれると思うが、その実感が少ない
そんなあなたは、ひょっとすると異邦人二世かもしれません。
この記事では、家族関係に問題はなさそうなのに不調が続くという人の悩みを解決するための3つのヒントを紹介しています。
・宇多田ヒカルと藤圭子の親子関係
・異邦人二世かもしれない
・どんなカウンセリングになるのか?
今回の記事は、この異邦人二世について、つまり被虐者の子どもについてです。
異邦人とは?
異邦人とは、精神科医の高橋和巳先生の造語です。一般的ではありませんが、被虐者の特徴をよく表した言葉だと思います。愛着が実親との間で切れている人を異邦人といいます。
そして異邦人の子どもを異邦人二世と言います。この言い方はちょっと妙ですね。単に子どもと言えばいいのに、そうでなく、あえて「異邦人の」子どもという言い方をしています。
どうしてこのような言い方になっているのかは、異邦人の子どもは、通常の心理発達では語り切れないものを持っているから、このような言い方になっていると推測できます。
現に、相談の場に登場する異邦人の子どもは、通常の成人期の心理相談には収まり切れない言動があります。異邦人に近いものがあります。
カウンセリングでは異邦人が登場する確率は高いですが、異邦人二世が来るケースも同様に高いのです。
宇多田ヒカルと藤圭子の親子関係
私の記事にはこの二人がよく登場します(*1-*3)。分かりやすいので登場していただいております。無断借用ごめんなさい。宇多田ヒカルと藤圭子の関係は親子関係です。宇多田ヒカルは藤圭子の子どもですし、歌手の2代目ということもあって、二世そのものです。
藤圭子は異邦人つまり被虐者で、宇多田ヒカルは異邦人の子ども、つまり異邦人二世です。宇多田ヒカルは通常の成人期の人ですが、それでは割り切れないものを秘めているということです。これはヒカルが虐待されてきた、ということではありません。
異邦人二世かもしれない
異邦人は被虐者、つまり虐待されてきた人ですが、虐待は世代間連鎖しないので、異邦人の子どもは被虐児ではありません。つまり定型の成人期までの精神発達を遂げているはずです。
が、そう簡単に事が運ばないのが、この愛着をめぐる葛藤の世界の中では常識になっています。これはどういうことかというと、異邦人二世は成人期であることには間違いないのですが、虐待されていないけれど、虐待されたような匂いがプンプンするのです。つまり異邦人と誤った見立てをしてしまうことがあります。
この影響は、本人については、それほど大きくはありません。なぜなら、「異邦人の」二世だからです。つまり異邦人性が大きいためです。ですから異邦人二世に、異邦人の臨床をすることで何か不都合が起きることは、本人については、問題ないでしょう。
本人にについては、と断ったのは、本人以外の話をするときは影響が出てくるからです。異邦人二世なのに異邦人と誤ってしまうと、親の見立てを誤ってしまうことになります。また祖父母の見立ても誤ってしまう。これは家族システム全体を見ながらカウンセリングを進めていく上では影響が出ます。
どんなカウンセリングになるのか?
このことは何を意味するかというと、カウンセリングではジェノグラム(家族図)が主要なツールになってきますが、特に愛着臨床にはジェノグラムなしでカウンセリングはできません。そのジェノグラムに間違いが記入されてしまうのです。これはちょっとまずいことになる可能性もあるのです。
ですから、見立ては3代くらいのものを、正確に終わっておくことが必要です。各人物について一人づつ特別に質問すると、こちらの誘導になってしまう可能性があるので、じっくり傾聴しながらそこで漏れてくる情報によってジェノグラムを完成しようと試みてください。完成できないときにその部分だけ、後から聴いてみることもあるでしょう。
異邦人二世のカウンセリングですが、異邦人臨床に準拠しながらやっていくことになります。当然親の異邦人性の話も織り交ぜながら進行していきます。そして親と子の類似点、相違点などを確認しながら進んでいきます。
虐待は世代間連鎖していないこともしっかりと説明して納得してもらう必要があります。何回も、何十回も、説明は要するでしょう。そこは納得するまで時間をかけてください。これも異邦人のカウンセリングに準拠していますね。
Reference
*1) 藤圭子とその娘、宇多田ヒカル~境界に生きる人々 *2)【花束を君に、宇多田ヒカル】愛着を切って死んでいく *3)宇多田ヒカルと藤圭子★母子関係
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