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ソレア心理カウンセリングセンター

2019.11.20 |こころカフェ

【山口百恵と辺見マリの経験】経験不足★愛着障害 常識シラズ さいたま






誰でも人は、養育者との情緒的な関係をベースにして、社会で生きていく上での経験を学んでいきますが、それらを学べなかった人もいて、それが常識から外れているように見えるという話です。





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山口百恵と辺見マリの経験





こちらの経験は常識的な話です。それぞれ10代の、20代の感じる一般的な経験の話です。歌詞を見ても、なんだか余裕があります(笑)。





「あなたと逢うとダメなあたし」と歌う辺見マリとか

「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」の山口百恵とか、

こういうことは日々の生活に余裕がないと吐けない言葉です。





つまり、これらの世界を生きる人々は十分に経験を積んできているということですね。その余裕ゆえの言葉です。





愛着障害の経験不足





愛着障害の方々は常識外れと思われる行動をする人もいます。それは親から教えてきてもらってないということです。(社会的)ネグレクトです。





社会的ネグレクトとは、DSM-5によると「安楽、刺激、および愛情に対する基本的な情動欲求が養育する大人によって満たされることが持続的に欠落している」状態と定義されています。つまり、養育者が子に対して情緒的な交流を無視している状態です。





子どもの社会化というのは2歳すぎから始まります。それまでは養育者との愛着という関係の中でしっかりと守られながら、人と信頼感を築いていくベースを形成していきます。養育者との関係で人は信頼に足るのだということを学ぶわけです。この安全感がないと、社会化がうまくいかなくなります。





うまくいかないからそれでいいとは済ませられません。なぜなら人は一人では生きていけないからです。成人を超えれば例えばヒマラヤの奥地へ引っ込んで一人で隠遁生活も可能ですが、まだ2,3歳の子どもですから、それはできません。





では社会化がうまくいかない人たちはどのようにして社会へ乗り出していくのでしょう。ちょっと考えればわかると思いますが、そういう人たちにとって社会とは怖いもの以外の何物でもありません。そんな恐怖の世界へどうやって突っ込んでいけるのか?とても難しい問題ですね。





早期から引きこもりになるケースもあるでしょうが、養育者自体が子どもにとっては安全ではないので、引きこもっているわけにもいきません。仕方なく社会へ接触していくしかない。そっちのが家にいるより、わずかではあるかもしれないけれど安心なのです。親切なおばっちゃんが声をかけてくれるかもしれないからです。





そのような状態で、わずかな他人との交流を栄養にしながら、糧にしながら、社会への道を歩いていくわけです。ですから、普通の人々の社会化とは別のルートを通ることになります。





常識とは社会的なものです。ですから常識ハズレというのは社会的なものから遠ざかっていることです。愛着障害の人は、社会的ネグレクトを受けているので、社会的なものからは遠ざかって生きてきているので、常識ハズレ行動をしがちになります。





自分は人工衛星に乗って生きているようだと表現した人がいましたが、そんな感じです。社会的なものから遠ざかって生きている。人は社会的ツナガリという暗黙の絆の上で生活しているので、そこから遠ざかって生きるというのは過酷を極めることは、想像できるかと思います。





一見すると、単に常識がないように見えますが、常識がないのではなく、社会の中で生きてこなかったということなのです。





中学生になって初めて友人から歯磨きを教えてもらった人、何かをもらったらお返しをすることを知らなかった人、使用した生理用品を目のつくところに置いていた人、足を立てて食事をする人、親から心配してもらいたいから誘拐されそうになる人。





これらの人がみんな同じ背景(社会的ネグレクト)をもっているわけではありませんが、社会的ネグレクトを受けて、常識から外れたところで生きてきた人は、このような常識ハズレの行動をしてしまいがちなのです。





常識から外れる行動をしても、愛着障害の人は理解する能力や情緒交流は、普通の人と同じですから、教えてもらえばすぐに理解し、恥ずかしがりながら行動することができます。そうやって張りぼて式ではありますが常識を形成していきます。普通の人は張りぼてではありません。連続体の常識を形成しています。だから、張りぼて式の常識で生きるというのも過酷には変わりありません。


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