自転車に乗れると元へ戻らない。必要なものは【傾聴と共感】

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Queen – Bicycle Race

クィーンは自転車の歌を歌っています。とっても変な歌なんですが、思春期のような感じです。右と言ったら左。アメリカ文化への批判、風刺の利いた歌詞です。スターウォーズも好きじゃない、ジョーズも好きじゃない、と来る。ルーカスもスピルバーグも批判します。まさに10代の歌でしょうか。

「ただやりたいことは、自転車に乗りたいことだ!」と歌います。だいたい10代なら普通ですと、バイクや車でかっ飛ばしたいとなるのですが、キヨシローは雨上がりの夜空に車でかっ飛ばすわけですが、クィーンは何故か自転車でかっ飛ばす。何かフツ―ではない感じ。

ここにフレディ・マーキュリー流の生き方の違いのようなものがあるのでしょう。普通とは違う生き方。アメリカ的なものは否定するような思春期的な発想と見せて、彼は別のことを言いたかったのかもしれません。

この歌がツールドフランスの時期に作られたとしても。

自転車に乗れた人の話~傾聴と共感

長年色々苦しんできた人が居ます。長いカウンセリングの中でアップ&ダウンあり、いやむしろダウンの連続であったかもしれません。しばらくはまだダウンも継続すると思いますが、そんな苦しい道のりを歩いた人が、自転車に乗れたのです。

50年、何やってもうまくいかなかったですが、ここにきて、この数日間で変わったような気がします。もう元に戻らない感じがします。自転車に乗れた感じです。

まさしく、自転車!もう乗れないことはないよ。いったん乗れたからずっと乗れるよ。

この境地へ到着するには、人に十分に聴いてもらえる環境が必要です。話しを聴いてもらうというのは、その相手を理解しながら聴くという作業です。この「理解する」のが難しいのです。それは、正しい見立てを持ちながら聴くということで、相手の中心部を理解しながら聴いているのです。聞き流すのでなく、聴いて、カウンセラーのこころに収めて、目の前の人を理解して、それから外へ出す。

これを続けることが傾聴ということです。ですからカウンセラーはかなり集中しています。こうやって聴いてもらっていると、そのうち自転車に乗れるようになるのです。

自転車に乗れるようになるとき、最後のほうは、後ろから両手で補助しています。そしてもういいかなと思うところで、手を放します。乗り手は手を離したことは知らずに、そのまま補助されて乗っていると思っています。ところが、一人で走っていることにしばらくしたら気づきます。この感覚によって自転車に乗れるようになるのですが、カウンセリングの回復も同じと言っていいかもしれません。カウンセラーが一瞬手を放す瞬間、それをカウンセラーは見極める責任があるのです。

自転車に乗れるというのは手続き記憶と呼ばれ、長期記憶の非宣言記憶の一つとされます。ここに記憶されたことは一生涯忘れないのです。認知症になるとその記憶も薄れることがありますが、普通は死ぬまで覚えているものです。この方が、自転車に乗れた感覚を持ったことは、死ぬまで忘れないでしょう。アップ&ダウンはまだまだ続くと思いますが、それを忘れることはないのです。

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