【孤独】その贅沢な時間、その途方に暮れるとき

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途方に暮れる、大沢誉志幸と銀色夏生

この歌がヒットしていたのは1984年です。私は当初、大沢誉志幸が作詞作曲まで手掛けているのかと勘違いしていましたが、作詞は銀色夏生でした。彼女を初めて知ったのがこの歌だったのです。

こころに迫ってくる絶望、といっていいのか、絶望以前の感情になる前のこころの動きが詞になっています。状況は、女は出て行き男は置いてきぼりにされる。これは銀色夏生の世界観そのものなのでしょう。女は強いのです。しかし、この感情前という切り口が当時では新鮮だったように思います。この歌の作詞以来、銀色夏生は大きく開花します。当時、確実に時代の少し先を行っていたように思います。

感情になる前の一瞬を切り取った歌。感情が湧き出す手前ですので「途方に暮れる」という表現がぴったりです。しかし、もうすぐ「それ」はやってくる。こういう感情の手前の状態というのは、誰しもよく分かること、理解できることです。経験すみのことです。それを「途方に暮れる」と表現したわけです。世に広く受け入れられるのも当然と言えば当然でした。

そういう詞に対して、大沢の曲が、感情を抑制したような曲調が、「それ」がもうすぐやってくることを予言しているようです。大村雅朗の編曲も冴えています。

さみしいし、途方に暮れるし、贅沢な時間

著書「孤独と愛着」にも書きましたが、尾崎放哉の孤独は、一人でいたくはない孤独でした。その孤独は、ウィニコットのひとりで居られる能力と同じでした。誰か(ウィニコットの場合は母親ですが)がいるから一人で居られる。これは一人ではないということと同じです。

そこから見渡すと、銀色夏生が書いた「そして僕は途方に暮れる」は、彼女を喪失して途方に暮れている男の心境を歌っているわけですから、とても普通の孤独なわけです。尾崎放哉の「咳をしてもひとり」と全く同じ線上の感覚でしょう。尾崎も、本当は一人でいたくない人なのです。

尾崎は日本人の琴線に触れる句を作ります。ですから、その線上に乗っていれば大衆にウケルのも当然です。尾崎も銀色も、センチメンタルがほどよくまぶさっているのです。

Aさんは、回復途上で「さみしいし、途方に暮れるし、でも今は贅沢な時間を送っているように思います。」とつぶやきます。Aさんも、以前は身の切られるような孤独の中で強烈な寂しさに翻弄されていました。いまは「海は広いな、大きいな」の童謡を好んで聴かれているようです。ピアノの音が聴こえてくるとウルルとなるそうです。それは、身を切られる寂しさではなく、余韻の中でさみしさも孤独も溶けて行っているのでしょう。

同じようにBさんは、最近、夜も不安なく眠れて、朝も不安なく目が醒めて、昔とは違う世界に住んでいます。娘さんとの会話で、駅の構内放送のスピーカーから、小さくBGMが流れていることを知ります。時間帯によって選曲のジャンルが違って、昼間の午後はジャズらしい。そこで、仕事の外の世界は色づいていることに気がつきます。世界が色づくとはBさんらしい表現ですが、「Life(生活)は職場を出てから始まるのかも」しれないともおっしゃいます。

途方に暮れているだけでは見えない世界が、Aさん、Bさん、50代の人々の生活に浸透してきた秋の一日、カウンセリングルームにさし込む陽ざしの中に、何かの歌の旋律が聴こえていました。

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