以前も、タマシイの発達について記事も書きましたし、音声をYouTube配信しました。今回はその続編とも言えるもので、少しだけ以前の話を進めた内容になっています。
前回の話は、タマシイの発達は、実年齢とは違うところで、後から生じる場合があるという話でした。そういう人々がカウンセリングに来る確率は少なくないのです。6割くらいはそういう人々です。私のカウンセリングルームに来る人々は、という話ですが、これはおそらく一般的にもそう言えるのではないでしょうか。
それが分かっていると、カウンセリングの進度や停滞の理由がカウンセラー側もよく把握できるでしょう。結果、色んなことで焦ったりしなくなります。
この話の中心は、社会的な自分(実年齢)とタマシイ的な自分(精神年齢)は違うということです。
ということは、カウンセリングの目的は、精神年齢を実年齢に引き上げていくということになります。このことについては、異論はないでしょう。
実は、精神年齢と実年齢が一致している人もカウンセリングにはやってきます。そういう人々へのカウンセリングは、現状抱えている葛藤の解消ということが目的になります。例えば40代の方にとっては、アイデンティティの再構築という話になります。そのどちらをやるのか、そのどちらもやるのか、によって、カウンセリングのテイストが変わってくることはあり得ます。
さて、、精神年齢の発達は、そう簡単にはスタートしません。ある程度カウンセリングが進んできて、恐らく半分以上進んだ頃、ようやくスタートする感じです。イメージ療法などでアプローチすれば、「ハイ、スタートです」と開始することはできるでしょう。ユングのアクティブイマジネーションのような技法もその一つかもしれませんが、タマシイ(精神年齢)の話というのは、実は、そういう恣意的なことでは片付きません。
すぐに役立つものは、すぐに役立たなくなるのです。そういうものはタマシイ(精神年齢)には通用しません。
ユング派でいうなら、ミンデルのプロセス指向というよりも、ヒルマンの元型心理学という趣きでしょうか。私は、その両方をよく知っているわけではないので、この例えは不適切かもしれませんが、ミンデルは簡単でもヒルマンは、そう簡単には行かない、すぐには役に立たないということです。簡単には行かない、役に立たないが、じっくりやっていると、ある臨界値を超えると、確実にスタートするということです。私の経験上の話に過ぎません。
そして精神年齢が実年齢に近づいたとき、あるいは一致したとき、カウンセリングは終了します。これが通常のカウンセリングの流れです。
追いついた精神年齢はそれからどうなる?
では、追い着いた精神年齢はその後どうなるのか?という疑問が沸いてきます。追い着いたからこれからは、生身の自分とタマシイの自分が同期して歩いていく、と考えるのが普通だと思います。
大部分の方は、追い着いて、ここでカウンセリングが終了するので、その後については分からないことが多いのですが、まれにカウンセリングを続ける人がいます。そういう人を見ていると、精神年齢が実年齢を追い越していく人がいるのです。つまり実年齢が40歳だとしたら、タマシイ年齢は40歳を追い越して、60歳、80歳に到達する人がいるのです。
80歳となってしまったら、もう寿命ですし生きていなくても良いワケです。いつ死んでもいい。そうやって40歳以降を過ごす人もいます。本当に「余生」という言葉そのものですね。もういつ死んでもいいわけです。こういう人が自殺しないのかどうか、追跡したことはありませんが、どうも自殺というところへは行かないようです。自殺というのは自己主張が混じる感じですが、そんな主張をすることもないのが、タマシイの80歳です。
しかし受動的な死の選択というのはあり得そうです。即身仏とか。どちらにしても宗教的な、哲学的な意味合いが強くなりますね。心理学の守備範囲外ですから私の管轄ではありません。
精神年齢が実年齢を追い越すということは、クライエントさんから教えてもらった、一つの発見ですが、まだ専門書でも見たことがありませんし、論文も読んだことがありません。
どうして追い越していくのか、それには自分なりの仮説はあるのですが、まだまだ脆弱な仮説にすぎません。その仮説についても、ここで時々お話ししていこうと思います。そしてある程度まとまったら、何か本でも書いてもいいかとは思いますが、文章という形にするには難しいとも思っています。
それは単に私が文章力がないというところに起因している問題も大きいですね。私の出すあらすじに対して、きっちりと文章化してくれるゴーストライターの方が居てくれればうまくいくのでしょうか。