カウンセリングが終わるときにただよう雰囲気

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カウンセリングの修了

カウンセリングを終えることについては、相談者の方々も躊躇します。今までカウンセラーと作ってきた関係が終わりを迎えるわけなので、その環境の激変(するかもしれないという思い)について躊躇するわけです。

この躊躇があるときは、終了はまだ少し先と考えたほうが安全かもしれません。一般的には、相談者の方が終了の話をカウンセリング場面で出してから、半年くらいはその話を継続したほうがいいかもしれません。(カウンセラー側から終了の話を出すことはありません。)

では、どうやってカウンセリングが終了を迎えるのか、それは相談者の方とカウンセラーの双方がもう大丈夫だなと思ったときに、そういうムードが漂ってきたとき、カウンセリングという特別な関係が「いったん」終わります。それは、来談者中心主義でも精神分析でも認知行動療法でも家族療法でも、どんな心理療法でも皆同じです。それが一番安全だということです。そのくらい普遍的なものだと思っていただいていいかと思います。

自分のことを振り返ってみると、昔は焦って終了していたかもしれないと思います。今はのんびりとやっています。終わるときには終わる。年というものの効用があるとすれば、それは年齢と経験の効用なのかもしれません。私の力とかそういうものでもありません。

そして、終了したから終わりというわけではありません。相談者の方との心的な関係は死ぬまで続きます。これはカウンセラーを辞めたとしても守秘義務は死ぬまで続くという案件と全く同じものなのでしょう。いったんこういう関係(相談者―カウンセラー)を結んでしまうと、そうやって永続的に続いていく特殊な関係だということです。他人同士の人間関係なのですが、普通のそれとはちょっと違うのかもしれません。どっちかというと、親子の愛着関係に近いと言えるのでしょうね。

ですから、カウンセリングが終わっても、あるとき相談に来られる方も少なくありません。そうやって日常をちょっと振り返って整理するのです。また、新しいテーマでセッションを始める方もいらっしゃいます。それはどちらでもあるのです。そういうことができる場ですよ、というふうにカウンセリングルームは機能しているのです。

終了という言葉を使いました。それは一般的にその言葉が用いられているからですが、カウンセリングについては、「修了」という言葉がいいのかもしれません。いわゆる「卒業」という言葉と類似しています。卒業しても大学院でもっと学ぶ方がいらっしゃるように、カウンセリングを修了しても、もっと違うテーマへ向かう方々もいらっしゃるということでしょう。

今回は終了についての話でしたが、カウンセリングの途中、次のカウンセリングまでの期間の間隔を短くしたり長くしたりということも起こってきます。そのときも、終了と似たようなこと(クライエントの緊張など)が起きます。そこもカウンセラーはよく考えてクライエントマネージメントに活かしていただきたいと思います。カウンセラーの方々へのメッセージでした。

余談ですが、大学を終わるときは卒業、大学院(修士課程や博士課程)を終わるときは修了と言います。大学院以降は学びに終わりがないということでしょうか。ずっと成長は続くという意味合いがあるのでしょう。カウンセリングについてもそれと同じです。違いがあるとすれば、その成長をカウンセラーと一緒にやるのか、一人でやっていくのか、その違いだけです。そしてそれは、どちらでもいいのです。

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