【愛着障害からの回復】ダブルファンタジーという解決法 

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別なものになる★そのとき世界は変わる

(-10) x (-10) = + 100

ダブルファンタジーの公式は、こうでした。カウンセリングの中では、この公式は、どのように語られるのでしょうか。

家族で楽しかったことを思い出すと、ファンタジーへ戻されるかと一瞬怖くなります。これまでその幻想の中で生きてきたので、それがまた現れたかと思うと、背筋が一瞬凍り付くような感じにもなります。

でも昔と違って、親のことはカウンセリングを通して、長い時間でしたが、すべて理解することができ、その上で楽しかったことを思い出しているので、それはファンタジーにはならないとも思います。

昔ほど盲目的に求めるわけでもないし、去年ほどは冷たい感じでもないし、不思議な感じがあります。

引き戻されたワケでもなくて、もうイイヨ!というのでもない。親が喜ぶことをしたいが、できないものはできない、でいい。縁あって親子になったワケだから、もう少し大事にしてもいいのかな、くらいの感じです。

そうやって最近は客観的に家族のことを思い出せます。幼少期の頃の自分を、自分の中で咀嚼(そしゃく)して理解して、それをまたこころの中へ戻していく。牛みたいなんです。噛んで戻すので、別なものになるのです。

「すべてを理解している」、「不思議な感じ」、これが「+」から「×」になった瞬間なのでしょう。やはりダブルファンタジーには、ファンタジーが壊れるという前提が必要なのです。それがあってこその「すべてを理解する」ことにつながります。

ただ、このファンタジーが壊れる瞬間というものは、語りの中にはよく分かる形では出て来ません。カウンセラーの私がその瞬間を見逃しているだけかもしれませんが、その瞬間はなかなか観測することができません。

「別なものになる」瞬間は、どのように起きるのか。それを見ることはできません。こんな感じかな、と想像しながら書くことはできても、なんだか、本人が読むと、違うものになってしまう。世に出た様々な愛着障害関連の本を読んでも、その瞬間が捉えられているものにまだ出会ったことがありません。

それは実際に起きている。別なものにはなる。これは確かなことです。でもそれが観測できないのはなぜなのでしょう。

私が思うには、その瞬間は、カウンセリングルームの中では起こってはいないからだと思うのです。これを外(そと)カウンセリング仮説と名付けましょう。つまりカウンセリングの外で起きていること。

カウンセリングルームは、確かに、あっちの世界につながっている場です。ですから、何が起きても不思議ではありません。ただ、カウンセラーとかカウンセリングルームというのは、それほどの能力があるわけではないのです。実際に、触媒にはなってはいます。カウンセラーとの関係性は相談者の方々の日常に忍び込んでいます。だから、カウンセリングルームを出たときも、それは引きずっているのです。相談者の方々は、カウンセリングを受けて、ある意味、生き方が励起(れいき)するわけで、そのようなエネルギー状態を引きずりながら日常へ戻っていく。

ですから日常で何が起きてもおかしくないし、それをカウンセリング効果と呼ぶならば、それは日常で起きてもおかしくはありません。というか、そのような日常での体験が起きないと、いつまでたっても日常を生きることにはなりません。ですから外カウンセリング効果は確かに起きるのだと思います。

「別なものになる」瞬間、それをカウンセラーが目撃することはめったにない。しかし、それで十分であると思うのです。少し話がダブルファンタジーからズレてしまいましたね。おそらく、ダブルファンタジーということは、それくらい書きにくいということかもしれませんし、私がそれを書くことを避けているということなのかもしれないです。話がブレる。

この理由は、思い当たらないことでもないのですが、そのうち考えてみましょう。相談者の方々が治癒していくことが大きな目標であるわけですから、私のことは些細(ささい)なことですね。

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