【ホラー】カウンセリングルームは異次元への扉なのか?

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後ろの空間とはモノノケが潜む場所か。

今回のテキストもビデオの補足ではありますが、ちょっと違う話になっています。書いているうちにビデオのパート2的な話題になったので、こちらもお読みください。

ビデオでは背後の怖い世界が自家発電になっていく話をしていますが、テキストでは書いているうちに、なぜかホラーの話になっていて笑えます。ウケル!?(笑)。話は違っていますが、テキスト版も恐怖譚から冒険譚になっており、ビデオもテキストも話のフレームは全く同じだと感じてもらえるでしょうか。

自分の背後の空間というものは、なかなか気になるところかと思います。超センシティブな状態(Highly Sensitive Person)でなくても、背後の空間については、様々な感情を抱く場所だと思います。それだけ色んなものがグチャッと潜んでいるということでしょうか。

霊は首筋から入ってくるとも言いますね。

背後は、もののけが潜んでいる所でもあります。あっちの世界とこっちの世界のハザマ、いわゆるボーダーライン的な場所ですね。トワイライトゾーンとも言います。山で例えると稜線。あっちと、こっち。まあ、気を許すと滑落する危うい世界です。それだから、物語の題材には事欠きません。背後は、ホラームービーが無数に生まれてくる場所でもあります。恐怖の生産地としては馴染み深い場所です。

解離現象の一つに、、鏡をみたらそこに自分が写ってなかったという症状があります。そこまでいかなくても、鏡を見たら自分じゃない人が写っていたとか、姿形は自分だけど何か違う感じがするとか。これらはみんな解離なのですが、その解離を引き起こしているのが、背後の世界からの交信なのでしょう。こっちは意図していないのに、むこうから勝手に信号を送ってくる。こう書くと統合失調症のようでもありますが、それとは確実に違います。妄想に発展するムードはありません。そこにあるのは妄想というより恐怖です。鏡に写った背後の世界、そのあっちの世界から侵入してくる怖いムード。その恐怖が解離を引き起こします。

あっちの空間には、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が住んでいるわけですが、一応それは化け物なワケで、化け物が化け物でいる限りは怖いことには代わりありません。しかし、そのあっちの世界と親和性が出来てくると、ホラー映画というよりルフィ―のような冒険譚になってくると、それはもう恐怖だけではなくなります。背後の世界というものは、そのように流転していくものなのです。

もののけだが、それだけじゃない。座敷童の物語のような。ホラーだけではつまらないじゃないですか。なぜホラーがあるのか。その意味をちゃんと分かるということでしょう。ホラー作家のスティーブンキングは、スタンドバイミーという青春小説も書いています。なぜ彼がそういうものを書くのか。そこにホラーの真髄があると思います。ホラーというのはそういうものなんですね。

シャイニングはキングの出世作ですが、キューブリックの映画としてのほうが有名ですね。小説では意志をもったホテルというものが登場します。それに主人公が操られていく。映画は小説とはちょっと違って、世間からの重圧に押しつぶされて狂人になっていく主人公です。映画のほうがリアルな展開で、現実とは怖いものだという事実に観客は戦慄を覚えます。なぜなら自分も主人公になり得る可能性が十分にあるからです。だから映画のほうが怖い。そこにキングは嫉妬したとも言います。そんなキングも、ホラー的というよりとても人間くさい。現実のほうがやっぱり怖い。キングはそんなことは重々承知だったのでしょう。

あっちの世界のホラーと、こっちの世界の反社会的なものの怖さは、全然レベルが違うのです。現実に存在する反社会的なもののほうが、よっぽど怖い。サイコパスや虐待世界のほうが、よっぽどホラーで怖い。あっちの、もののけは、ホラーではないよ、ということです。あなたの背後にあるその世界は、あなたの知らない、けれどあなたを背後で支えてくれている世界なのです。

60年代には、あっちの世界を描いたウルトラQという番組がありました。小学校低学年だった私は、怖えなーと思いながら見ていました。白黒映像がその恐怖を煽っていました。でも、ときどき笑えました、カネゴンとか。あっちの世界というのはそういうものなのでしょうね。

次回はカウンセリングルームという背後の空間についてお話ししましょう。お楽しみに!

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