ボイジャー1号・2号★人工衛星の人々の孤独な旅

愛着とトラウマ(虐待)
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このテキストはビデオの補足です。ビデオと一緒にご覧ください。

著書「孤独と愛着」の「ホムサのロープ」に登場する人工衛星の人は、近況報告をしながら自分を整理するために、時々カウンセリングルームにやってきます。こないだ数年ぶりに来られたときは「だんだんと人工衛星の軌道が地球から離れていくんです。」そのように話されました。

ここにあるのは、諦観とかそういう感情だけではありません。地球から離れていくわけですから、物理的には地球の重力圏からの離脱です。軽くなっていく。これは心理的にも同じことが起きているように思いますが、その人がそこまで表現したかというと、そこまでは軽くない。ヘビーなトーンも漂っています。しかし、そこへ行く道を辿ってはいるような感じです。そことは「孤独の軽み」です。孤独のサウダージ。

映画の話になりますが、タルコフスキーの惑星ソラリスのラストシーンが軽いかというと、全然軽くありません。なぜ軽くならないのかというと、しっかりと愛着という重力に取り込まれている世界の話だからです。ストーリーの途中で自殺した妻のコピーが登場します。だから必然的にヘビーになる。死の匂いが漂ってきてしまう。このようにヘビーになるのは、主人公が幸せな人生を送っていた証だからとも言えます。しかし、この重力が弱い人にはそうではなく、それだからこそ軽く扱えるという展望が開けます。そして、きっとそうなることは、私が知っています。

この人の話を聴きながら、私は太陽系探査ロケットのボイジャーのことを思い出していました。ボイジャー1号、2号は、1970年代後半に相次いで打ち上げられます。そして今、太陽の磁場の影響を全く受けないところまで到達しています。まさに太陽系から離れていっているのです。彼は太陽系を離れる前に、一度太陽を振り向きます。そして太陽系の兄妹惑星を1枚づつ写真を撮っていきます。さながら My home, sun planets という感じだったのでしょうか。そのミッションは、きっと愛着たっぷりに育った人のアイデアだったのでしょう。

離れていく。これが愛着の中で育った人も、そうでない人も、共通のキーワードです。人は生まれて、基本的信頼感の中で育って、いくつもの発達課題を獲得しながら成長していきます。そして死期が迫ってくるとき、また基本的信頼感に立ち戻って、最終的にはそれを切り捨てて、そこから離脱して死んでいきます。孤独の世界に向かって再び飛び込んでいくボイジャーのように。ボイジャーの孤独は悪くないでしょう?だから、基本的信頼感を切っていくことも、悪くはないでしょう。恐れるに足らず。

これが生まれてから死ぬまでのスタンダードですが、そうでない人は、初めから離れているわけですから、ちょっと違う感覚です。生まれたときから離れているわけですから、そして人工衛星の人のようにその軌道がどんどんと離れているわけですから。ボイジャーのように振り返って太陽系の兄妹の写真なんか撮りたいとも思わないでしょう。でも、サービスでそのミッションをやっちゃうこともあるでしょう。まあ、しょうがいない、付き合ってやるかと。

Neil Youngの孤独の旅路(Heart of Gold)という名曲があります。

黄金のこころを求めて彷徨い歩く人を歌っています。これはある意味、青い鳥と同じテーマなのでしょう。でも、彼はその黄金のこころは身近にあるよとは言っていません。ただ、それを求めて彷徨い続けると歌うだけです。人生というものはそういうほろ苦いもの、と。

同じ頃、フォーククルセダーズは「青年は荒野を目指す」と歌いました。長い時を経てフォークルの加藤和彦は60代後半に、自分の命を絶ちます。彼は荒野の先を見たのでしょうか。黄金のこころを得たのでしょうか。それは誰にも分かりません。人工衛星の人は、すでに離れている感覚を長い年月に渡って所有してきたわけですから、荒野の先に見える黄金のこころというものを、なんとなく体感もしているのかもしれません。それは、一般の人とは違って、死ぬずっと前から分かっているのでしょう。それが、孤独の幸せというものでしょう。

とすると、Neil Youngはそれはそれで、幸せな人の歌を歌っていることになります。余談になりますが、このHeart of Gold は Harvest というアルバムに入っているのですが、この1曲目が Out on the Weekend というこれまた名曲です。なかなか充実したアルバムです。

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