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ソレア心理カウンセリングセンター

2018.08.03 |こころカフェ

不思議な箱庭

箱庭とは、四方が100 cm x 60 cm くらいで深さが10cmほどの、内側がブルーに塗られた箱に、砂が入っている砂場です。砂の深さは3cmくらいでしょうか。その砂場を一つの世界と見立てて、あらかじめ用意されたパーツを置いていくというセラピーです。用意されたパーツは100個以上あります。(何個でも用意していいのです。自由に。)その中から置きたいと思ったパーツを取り出して砂の上に置いていきます。河合隼雄先生がスイスのユング研究所から日本へ導入し、箱庭と名づけました。英語では sand play(砂遊び)といいます。ユング研究所のカルフが編み出したセラピーです。

今回は2つの箱庭セッションをご紹介します。箱庭の不思議に少しばかり触れていただきます。

■未来予知をした箱庭

或る人が作った箱庭。石が欲しい、もっと石を、とつぶやきながら完成させました。箱庭のパーツに小石があります。その人は、もっと小石を砂の中に埋めたかったそうです。石が足りないから、代わりのもので代用するしかなかったと感想を漏らしていました。そのくらいに石が欲しかったのです。今度河原で探してくるね、とその日のセッションを終えました。

その日の夜、その人は激しい腹痛に襲われます。そして病院へ救急車で搬送されました。そこで分かったことは、腎臓に多くの結石があったそうです。箱庭に埋めた、そしてもっと埋めたかった石の群は、その人の結石を意味していたのでしょう。次回のセッションではそういう話になりました。

偶然の一致ですが、興味深いことです。シンクロニシティが起きたのです。

この箱庭と結石の話には、前フリがちゃんとあります。この人のセッションは4年に渡っていましたが、1ヶ月ほど前に、無断のキャンセルがあったのです。4年のセッションでは初めてのことでした。このキャンセルは行きたくなくてキャンセルしたのではなく、すっかり忘れていたとのことでした。

その次のセッションでは、仕事でリーダーにつくことに興味がある、でもそれは前と同じやり方はできない、と話されます。身体的には、2年半前に表出した肛門関連の症状が再燃していました。同じ肛門の話ですが、それを節目と捉えたら?と促すと、今回の肛門症状は前とは違うのだとおっしゃいます。視野の広さが全然違うのだそうです。

カウンセリングがこういう流れで進んだ後の、箱庭セッションです。箱庭についても、2回目でした。出来上がった箱庭を見て、私、これ死んでますよね。この風景、死でますよね。なんでしょうか。でも気が済みました。石が欲しかった。死んでいるゾーンが広いですね、何ですか!?生きてるゾーンが狭すぎ。

死んで、気が済んで、石が欲しい、のです。

そして、箱庭セッションの夜の結石につながります。

4コママンガで例えるならば、カウンセリングを忘れていたことがスタートになります。つまり(起)。肛門症状は(承)、箱庭セッションは(転)、そして結石の救急搬送が(結)となるでしょうか。この起承転結を一ヶ月で経験したことになります。駄洒落ではないですが、結石が(結)というのも偶然の一致ですね。

肛門と腎臓結石の病。両方とも排泄に関しての、前と後ろのダブルでやってきた病。この方は思い返すと、小さい頃からずっと我慢をしてやってきた方でした。我慢が落ちたのでしょうか。

箱庭が結石を予知していたことになりますが、このようなことはセッションで珍しいことではありません。長くカウンセリングをやっていると、時々経験することです。カウンセラーにはそうなのですが、相談者の方にはやはりシンクロニシティは新鮮です。長いセッションのうち、そう何度もあるわけではありませんから。

こっちは最初は何のことかさっぱり分からない。なんで石を埋めたいのだろう。でも結石の話をきけば、結石が身体に埋まっていたことになり、よく分かります。こうやって事実はあとになって分かることが往々にしてあります。だいたいモノゴトはあとになって分かりる。私もボンクラですので、後になってわかるクチです。これが前もってわかってしまうと預言者ということになって、人生大変になりますね。預言者は早死にするのは、それだけ大変だからでしょう。

中井久夫氏が、ロールシャッハテストは半年先のことが示されると言っていました。豊富な経験のもとでの彼の発言なので、そんなもんかと思うだけです。私の経験から言うと、、とか言えるほど、何十年もロールシャッハをとり続けていません。私の勘違いでなければ、ある患者を定期的にロールシャッハを取り続けていると、だんだんとその患者の半年先の状態と照合するようになってくる、という話ではなかったかと思います。

これを私なりに斜め目線で読み解くと、ロールシャッハが患者の未来を現したというより、患者が半年かけてロールシャッハに合わせてきた、というほうが適切ではないでしょうか。何やら分からないヘンテコなテストというものは、ある意味、患者にとっては神聖で畏れ多いものです。ですから、勢い、それに合わせていく。それに合わせるから治っていく。そういう心理ではないでしょうか。とすると、ロールシャッハテストとは、治療効果もあるということになりますね。このような視点の研究はないと思いますので、どなたか論文でも書いていただけないでしょうか。

■行動を止める箱庭

「箱庭から砂を出してしまうのは、とんでもないことのように思え、
手が動きません。なぜこんなに涙があふれてきたのか、全く意味がわかりません。」

この方が最近頻繁に話すことは、どうやって死のうかということです。実際にいろいろ思い巡らして、現実的な方法を話されていきます。それを私はただ黙って聴いているということが何回も続いていました。今回もおそらく死の話になるだろうと思っていました。話をされる方にはキツイ時間が過ぎますが、ここを胸突き八丁と思い、私はただお聴きしています。カウンセリングの場とは、ある意味、死を語る場所だからです。

その日のカウンセリングは、それまでの数ヶ月とはちょっと違いました。今日はカウンセリングをキャンセルしようかずっと考えていたというのです。キャンセルについては色んな事情がありますので、それ自体が悪いことではありません。この方にとってのキャンセルも、これまでのカウンセリング過程を振り返ると、十分にありえる話だと思います。中断ではなく、キャンセルということが大事です。休憩という意味合いです。(中断はまた意味合いが異なります。)

それで、そういうこともあるな、そこまで来たのかと思って聴いていると、(この「そこまで」についてはここでは話しません。ここを話すと、カウンセリング自体が頓挫(とんざ)するような気がしますので、話しません。悪しからず。)「話すことが無くなった、何を話せばいいか分からなくなった」とおっしゃいます。なるほど、そういう話はカウンセリング過程では時々出てくることです。そのまま聴いていると、「ただ、この無くなったということを話しに来ようと思った」とおっしゃいます。

じゃあ、箱庭でもやりますか、と促すと、あの砂を全部、箱の中から出したい。でも部屋が散らかるからできないですね。でも話すことがなくなったことを表現するには、砂を出すしかないです。

いや、バケツ用意するから大丈夫ですよ。表現してみてください。と伝えて、箱庭セッションに移行しました。

クライエントの方が両手で砂をつかんでバケツへ持ち出そうとした瞬間、その両手が止まりました。砂が持ち上がりません。しばらく見ていると、大粒の涙がポロポロと流れだしました。涙は砂の上に落ちて砂に吸収されていきます。10分ほど経って、その方の口から言葉が紡(つむ)がれます。

「箱庭から砂を出してしまうのは、とんでもないことのように思え、
手が動きません。なぜこんなに涙があふれてきたのか、全く意味がわかりません。」

何もないと思っていたこころを表現しようとしたとき、その行動が止まったのです。それをするのはとんでもないこと。その後に号泣。

クライエントのこころの深いところの状態を垣間見たようなセッションでした。こういうセッションは、根掘り葉掘り解釈しないほうがいいのは定石です。おそらくこの方の危機は去ってはいませんが、何か違うものが改めて提示されたとしたら、それはそれで良かったと思いました。セラピストの思惑を外して、世界という時間はたっぷりと流れていきます。これは本当のことです。

■箱庭は二人でやるアートセラピー(番外編)

脳科学者の茂木健一郎氏は、学生時代に箱庭を購入して自分で多くの箱庭作品を作ったといいます。そうすることで当時の自分の気持ちを整理していたらしいです。こういうことは、アートセラピーという視点でみると、箱庭という素材を作って自分を探求したという意味はあると思います。

しかし箱庭療法とは、患者とセラピストが同じ空間でそれを共有しているということが大事に扱われます。同じ空間、安全な空間という、曖昧模糊とした静かな状態が治療的に働くわけです。一人で作るのは作品であって治療ではないと見るわけです。

箱庭は一人ではできるが、箱庭療法は一人ではできない、ということです。私の場合は治療でそれを使っていきますので、箱庭療法なのですが、それを中心に使っているわけではないので、箱庭を使った芸術療法(アートセラピー)という捉え方で実施しています。
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