虐待(愛着障害)の判断と適切な対応|大阪母子餓死事件より

愛着とトラウマ(虐待)
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大阪のマンションの一室で母子の遺体が発見されました。死後3か月経っていました。以下は、新聞の切り抜きです。(2013年5月24日に発生した事件です。)

大阪市北区天満のマンション一室で母子2人の遺体が24日に見つかった事件で、室内に「最後におなかいっぱい食べさせられなくてごめんね」との内容のメモが残されていたことがわかった。
母親の口座残高は数十円で、室内に食料はなく、生活保護などを受けていなかったことも判明。府警天満署は困窮状態が2人の死につながったとみて、当時の生活状況を詳しく調べる。室内に冷蔵庫はなく、食塩があるだけで食料は見当たらなかった。

2人は2月頃に死亡。瑠海君の遺体に毛布がかけられていたことなどから、同署は、先に瑠海君が亡くなったとみているが、死因は特定できていない。充代さんは病死か衰弱死とみている。同署は2人が転居した理由などを詳しく調べる。

母親は生前、「夫婦関係がうまくいかず、夫に居場所を知られたくない」と周囲に話していたことがわかった。転居直前には広島に住む実母が守口署に「娘が方々に借金を頼んでいる。心配なので様子を見てほしい」と相談。実母と署員が家を訪ねたが、変わった様子はなかったという。
母親は夫と同居していた昨年10月ごろ、家庭内にトラブルを抱え、金銭的に困窮していたらしいことが、捜査関係者への取材でわかった。府警は、母親がトラブルから逃れるため引っ越した可能性があるとみて、経緯を調べている。

捜査関係者などによると、死亡した井上充代さん(28)は広島県出身。大阪に移り住んだ後、2010年3月に瑠海(るい)君(3)を出産。大阪府守口市内で夫と3人で暮らしていた。昨年10月、井上さんの実母から守口署に「娘がお金が必要だと言っている。満足な生活ができてないのでは」と相談があり、署員が訪れると夫はおらず、2人暮らしの状態だった。生活環境に問題はなく、実母が連れて帰ろうとしたが、井上さんは拒否したという。

  • 社会から忘れ去られた母子が餓死していく。この事件を社会は食い止めることができなかったのでしょうか。また、このような事件は今後も起きてくるのでしょうか。
  • 亡くなった母親は借金を実家に相談していなかった、実母が実家に連れて帰ろうとしたとき拒否した、これはどういうことでしょうか。どうして実家を避けるのか。

夫の経済的なDVがあったことはうかがえます。これは想像になりますが、他のDVもあったのかもしれません。おそらくその現場から逃げたのでしょう。逃亡中だからバレるとまずいから実家には帰らないということもあるでしょうが、餓死する状況になっても助けを求めないというのはどういうことなのでしょうか。また、冷蔵庫がなかったということ。ここも引っかかります。

息子が死んでいくのをみている母親が何かをしないでいられるのか。DVによるPTSDで解離して固まって動けなくなるというのはありますが、それは継続的に続くわけではありません。この場合、監禁されていたわけではないので、動こうと思えば助けを求められます。どうして母親が助けを求められなかったのか。夫のDVによる恐怖で動けなかったのでしょうか。

葛藤か?虐待か?

実家へ相談できないのは、家族葛藤がある、虐待がある、母親が実母を怖がっている、この3つくらいでしょう。

家族葛藤がある場合は正常な親子関係が成立していますので、死に直面するくらいの緊急度の高い状態になったら必ず相談するでしょう。だから家族葛藤の問題はないように思えます。また実母は娘のことで警察に相談したりしているので、その相談のしかたが少しズレているかもしれませんが、この記事だけではよく分かりません。

相談していた、という事実を良い方に受け取って、実母から娘への愛着関係は成立していたと見立て、母子間の虐待はなかったと考えられます。そうすると、残るのは「この母親が実母を怖がっていた」ということです。

この恐怖は、幼い子どもがちょっと厳しい親に対して感じる単純な怖がりです。幼い恐怖です。この母が、生活保護の申請をしなかったこと、そして働くことをしなかったこと、部屋には冷蔵庫もなかったこともヒントになるでしょう。

能力がない

つまり、生活を維持していく能力がなかったということです。この母親に発達の問題があったのではないかと想像できます。申請することを諦めたり、働くことを諦めたりしていること。考えて行動することが難しいから、うまく人間関係を結べなくなるのです。

こういう人は生活保護を受けないといけない。声をあげる能力もないので、行政が出向いていくしかない。この事件の第一報があったとき、「もっと外へ助けを求めていたら良かった」とコメントされたNPOの人がいましたが、それができる能力がなかった人だったのでしょう。

子に対して「おなかいっぱい食べされてあげられなくてごめんね」という走り書きが見つかっています。また子の遺体に毛布がかけられていたということから、この母は子の死を看取ってから、餓死という緩慢な自死を選んでいった。この行動の中には、母子間の愛着を感じることができます。

しかし本当の愛着があるなら、死ぬ前に食物を得ようと奔走するでしょう。それがこの母親には見られなかった、とすると、この母から子への愛着は大人のそれではなく、幼いものだったのでしょう。だから子どもを育てられなかった。

このようなケースは、地域の保健センターなどのサポートが必要です。早い時期に、この母親の存在を見つける。そしてできれば子どもは養護施設に預ける。そして母親は生活保護で生活する。こうしていれば母子がそろって餓死するということにはならなかったかもしれません。

事件の背景

事件の背景について考察していきましょう。

発達障害によるネグレクトの可能性

この母子餓死事件は、DVやPTSDの問題として片づけられそうですが、背景には母親の発達の問題が潜んでいるように思います。これは行政が生活保護をちゃんと出していかないといけないケースです。母親に発達の問題があると見立てることができれば、生活保護取得への検討が行政でもできるはずです。

PTSDによる放置の可能性

この事件をDVとして捉える場合、この母親を、DVによって生じたPTSDの拘束作用によって動けなくなったと考える人もいます。DVの恐怖で外に出られなくなったわけです。監禁され続けると、逃げられる状況になっても逃げることができなくなる、ということはあります。学習性無力感です。

セリグマンの犬を用いた実験が有名です。長期にわたり、抵抗や回避の困難なストレスと抑圧の下に置かれた犬は、その状況から「何をしても意味がない」ということを学習し、逃れようとする努力すら行わなくなるというものです。

PTSDの第一人者であるハーマンの「心的外傷と回復」にもそういう話は出てきます。ここにまず目を付けるのは、視点としてはズレていないと思います。そして、このようなPTSDとして考える人は少なくないと思います。

ただ、監禁もされていない場所で、夫と離れた場所で、継続的な実質的な恐怖もない状態で、動けない状態が起こるかというと、それは非常に確率が低いように思います。恐怖の妄想が膨らんでそれで動けなくなるということはあるでしょう。その場合は、そのような妄想モードに入ることのできる資質が必要です。だれでも妄想に入れるわけではありません。もともとの精神疾患の素因がある方ならあり得ます。

100歩譲って、恐怖で死ぬということも可能性としては否定できませんが、それは監禁されていて、かつ目の前に実際の恐怖が迫っているときに限定されます。サバンナでライオンがシマウマを追い詰めたような場合です。追い詰めれたシマウマは逃げ場がない、監禁状態です。そして食べられてしまうという現実に直面しています。この状況下では、シマウマは仮死状態になって危険を逃れるのです。食べられてしまいますが、その痛みは回避できます。これは解離と同じことです。解離の程度が強くなると致死に至るのかどうか、これは聞いたことがありませんが、ひょっとするとあり得るのかもしれません。しかし、現実に殺されるというせっぱつまった状況下でないと、そういうことはないと思います。つまり妄想モードでは起こりえない。

ですから、この母子の死因をPTSDによるものと考えるのは、非常に可能性が低いでしょう。

発達の問題と料理をする能力

室内に冷蔵庫はなく、食塩があるだけで食料は見当たらなかった。

ここからはいろいろなことを読み取ることができます。冷蔵庫がないということは、食事を作らないということで、母親の食事を作る能力が疑われます。すべて外食かコンビニ弁当だったということです。これによって発達の問題が大きく浮上してきます。冷蔵庫がないと飲み物の保管もままならないでしょう。子どもは何を飲んで、何を食べていたのか。

後日わかってきたことは、母親は餓死ではなかった。胃の中に残留物があったそうです。つまり母親が食べていた。ではなぜ子どもの胃の中には何もなく餓死だったのか。これは母親が子どもの養育を放棄していた可能性があります。母親によるネグレクトです。悲しいことですが、自分だけ食べていた。

「最後におなかいっぱい食べさせられなくてごめんね」というメモは、母親がしばらく家をあけて帰ってみると子どもが餓死していた、それを哀しんだ。この哀しみは非常に幼い哀しみですが、そういうことかもしれません。

料理が作れないくらいの知能はIQ60以下ですが、そういうネグレクトの事例は数多くあります。見た目とか少し話しただけでは普通に見えるのですが、日常生活をこまめに観察すると普通とは違っているところがだんだんと見えてきます。軽度知的障害の場合、そいういう見え方をしてきます。IQがもう少しあがると、料理は作るのだが、なにかエサのようだったりします。冷蔵庫はあるけれど、中には昔の食べ物が放置されていたりします。そして、そのような母親としての能力のなさに対して夫の怒りが暴発していたのかもしれません。それを新聞はDVと呼んだのかもしれません。

そのへんをよく見ていかないと、殴ったからDVだ、殴ったから虐待だということになりかねません。殴ってもDVでない場合、虐待でない場合は多かったりします。これは殴っている人を養護しているわけではなく、殴っている人には何が起こっているのか、殴られている人には何が起こっているのか、そこをちゃんと見立てていかないと心理的な援助はできません、ということを言っているのです。

事件の核心はネグレクト

この事件にも、何かそういうネグレクトの匂いがするのです。死んだ母親には塩を塗るようで可哀想だとは思いますが、それよりも死んだ子どもが不憫です。母親は食べていた、子どもは食べてなかった。ここにこの事件の核心があるように思います。

この第一報のあと数日たって、この母親は高級な靴をたくさん所有していたこと、亡くなった前の月までは毎月30万の収入があったこと、夫のキャッシュカードを使用していたこと、夫とはメール交換をしていたこと、マンションの部屋代はつきあっている男性持ちだったことなどが分かってきました。

家賃を払う必要もなく30万も収入があったのに、お金がないと言っているのは、ブランド物を買いあさっていたのでしょう。あるいは遊びあるいていたか。

そのへんを考えると、この母親はやはり軽度知的障害だったのではないか、子どもは虐待(ネグレクト)されていたのではないか、という思いが強まります。

地域社会が虐待に対して行うべきこと

この事件では、子どもを養護施設に入れて母子分離をまずやる、ということが実行されていたら、幼い命は確実に救うことができたと思います。親が養育できないのに子どもを囲ってしまう、そして死なせてしまうというケースはかなり多いのです。

少し前、四日市でも幼児二人を部屋に放置して死なせてしまった事件がありました。ドアには丁寧に出られないように目張りまでして、母親が遊びまわっていたのです。あの事件も、母親には発達の問題があります。虐待には親の発達の問題がかなりの割合を占めているのです。

虐待の事例に出会ったら、まず母親の精神疾患(統合失調症)か発達障害(軽度知的障害あるいは境界知能が多い)を疑ってみてください。そうすると、ケースへの対応をどうすればいいのかがスルスルと見えてくるでしょう。ただ、統合失調症だから発達障害があるから虐待するというわけではないので、見立ての際はご注意ください。

親に対しては、あえて葛藤させないことも必要

この母親と実母との葛藤は、意外とあっさりしていると感じる方もいらっしゃるかもしれません。その感覚はマトを外していません。軽度知的障害の人にとっては葛藤とは解消するものではないからです。解消できないのです。

葛藤が解消するには、腑に落ちるという体験が必要ですが、その体験をするにも、さまざまな人間関係を理解していく能力、抽象的な思考ができる能力などが必要なのです。軽度知的障害の人は、そこまで複雑な人間関係を理解することができないので、葛藤もあっさりしたものとなります。生きづらさは感じているのですが、その悩みの深度が浅い感じです。

葛藤が葛藤っぽくなるのは、軽度知的障害の中でもIQが高い人々、つまりIQが80前後の境界域にある人は、葛藤っぽくなりますが、そこをカウンセリングや心理療法で進展させようとしてもうまくいかないことがあるのです。

では、発達の問題のある人にとって葛藤は解消できないものだとすれば、その葛藤はどうすればいいのか。

それは、棚上げにしていくのです。棚上げにしているのでいつかはまた葛藤がやってきます。そのときはまた格闘して棚上げにします。この繰り返しで人生をしのいでいくのです。次第に葛藤の重さも軽くなっていくでしょう。このような状況を生きているわけですから、かなりのハンディキャップがあるのです。発達の問題を抱えた人は、本当に、人生たいへんなのです。周囲の人はそこを分かってあげる必要があります。本人は反省しているわけではないが、それも仕方がないのです。

虐待は連鎖しない

また「虐待は世代間連鎖(伝達)しない」という視点も押さえておかなければなりません。世代間連鎖すると見てしまうと、虐待されて育った親は虐待するものだという色眼鏡がかかります。実際、子どもを叩いてしまった、虐待してしまいそうだ、子どもがかわいく思えない、育児が楽しく思えないと、相談にやってくる母親が、わが子を虐待することはあり得ないのです。

自分が殴られていたフラッシュバックの中で解離してわが子に怒りを爆発させること(PTSD)はありますが、それは暴発であって、暴力の継続性はありません。そうやって相談に来られること自体、子どもを心配しているからで、そこには子どもを思いやる気持ちがあるのです。見えにくかもしれまえんが、子どもへの愛着は確実に存在するのです。

そこを、周囲は、「虐待してしまいそうなのか!?さあ、大変だ」とやってしまうので、問題の本質を見失ってしまいます。虐待に限っては、世代間連鎖という考え方はゴーストなのです。あるように見えるが、実際はないのです。

虐待という行為は、子への愛着が切れているところで発生するのです。どういうときにその愛着が切れるのか。それは、その母親が虐待を受けていたかどうかというのとは全く関係のないところ、つまり母親の精神疾患、発達の問題によって母子の愛着形成がうまくできなかったというところに問題があるのです。つまり母親の器質的な、能力的な限界があるところで虐待は起きるのです。

母親の限界という視点が見えないために、児童相談所などは、虐待家族を再統合しようとすることもありますが、もともと限界のある家族の再統合などはあり得ません。再統合という視点に無理に立つことで、起きなくてよかった事件を起こしてしまうこともあり得ます。

親よりも、子どもへのサポートを厚くする

ネグレクトの中を子どもがなんとか生き延びているのなら、それでいいのです。周囲が子どもを気づかって守っていれば親への指導はしなくてもいい。変な指導をしてしまって親を怒らせて子どもが致死に至ることはよくある話しなのです。虐待家族はそのままそっとしておいて、子どもがなんとか一人でやれるまで周囲が見守っている、気を使っている、この取り組みが必要なのです。

虐待が世代間連鎖するという根拠はどこにもありません。1950年代に、ナチスのアウシュビッツから開放された人々とその研究が家族の研究に、間違って援用された結果、世代間連鎖という亡霊が独り歩きしだしました。もし世代間連鎖しているように見えた場合は、母子ともに発達の問題があるのです。発達の問題は脳の問題であり、遺伝性が強いですから。

虐待の重症度から対応を考える

虐待への対応はその重症度の見立てが重要になってきます。重症度によって対応が異なるのです。そして重症度が高くても、それが継続的に行われていない場合は、虐待とは判断しません。

重症度5は生命に危険が及ぶ虐待です。腹部を蹴る、宙吊りにする、熱湯をかける、窒息させる、ネグレクトによる低身長、低体重で衰弱のあるとき、親が子の病気(下痢、脱水、肺炎、感染症)に気が付かなかったり、親が子の危険(転落など)を回避できなかったりするような虐待が繰り返し行われているときは、即介入して親と子を分離します。

重症度4は重度の虐待です。継続的な身体的虐待、ネグレクトがあります。医療を必要とする外傷、骨折、登校させない、閉じ込められている、ストレスによる言語や理解の遅れがある、生存に必要な食べ物・衣類が十分に与えられていない、そのため低身長・痩せている、親が子どもをいじめるのを楽しんでいる、性的虐待がある。このような場合は、一時的に親子を分離し、その後、訪問と監視によって子どもの見守り続けます。

重症度3は中度の虐待です。軽微な暴力やネグレクトが執拗に続いており、その状態で安定し、子どもは幼稚園や小学校へ通えている状態です。慢性的なあざがあり、痩せて衣類が整っていない、他の子どもを攻撃したり、あるいはいつもいじめられていたりする、親に発達障害(軽度知的障害)や統合失調症がある。

このような場合は、親からの分離はせずに、親と一緒にいる時間をできるだけ少なくするように、子どもへ介入します。例えば、時間外保育、学童保育、児童館の利用などです。そして保育士や館長が継続的に子どもを見守っていきます。積極的に子どもの相談に乗ります。「親はあたなのことが嫌いではないんだよ、ただ分からないだけなんだよ」というメッセージを出し続けます。「何かあったら相談するんだよ」と。

ここでは親へは介入しません。親を叱責したり助言をしたりすることで、子どもへの虐待がひどくなることが多いので、親へは、子育ては大変ねと、「よいしょ」しておきます。親のことはたくさんほめておきます。あくまでも、親へ対応するのでなく、親とは同居させながら、子どもへできるだけ理想的な環境・見守りを提示してあげるのです。そうして子どもが中学から高校へ入る頃には、子ども自身が親へ対応できるようになります。この重症度3のケースは、かなり多いでしょう。

子どもに歯磨きや髪の洗い方、生理用品の扱いなどの基本的なことを教えなかったり、小学校からの連絡事項が書かれたプリントを読まなかったり、エサのような弁当を作ったりすることも、この重症度3のネグレクトに入ります。

また重症度3以上の虐待を受けている子どもは、他の子どもとトラブルを起こしやすく情緒が不安定になったりするので、小学校低学年くらいには、発達障害の誤診を受けやすいということもあります。不安定になっているので勉強に集中できず、知能検査をしても思うように実力が発揮できずに低得点に終わってしまい、それをもとに発達障害と診断されるケースもあります。このような子どもは安定したときに再検査してみると数値がかなり上がりますが、それが彼らの本来の知能指数なのです。

実際に勉強に集中できないので、学業は小学3年生くらいのレベルでストップしていることがあります。被虐待児は、もともと発達障害ではなく知能は通常レベル以上なので、中学生くらいになってから小学校の勉強をもう一度させると吸収も早く、しだいに中学の勉強についていけるようになるので、学校の先生はそのような対応も覚えておいてください。

重症度2以下は軽度の虐待です。虐待という分類に入っていますが、重症度2以下は虐待ではありません。カッとなって子どもを叩いてしまったと親が自ら相談に訪れる場合などです。子育てが不安だ、楽しく育児ができないなどの訴えがあります。このように、母親自身が育児不安の相談に登場する場合は、虐待はありませんので、子育て支援のみで対応します。

支援する場合も、虐待の視点で見ないという気づかいが必要です。ただでさえ母親は、追いつめられて苦しくなっているので、そこに輪をかけるような誤解に基づいた行動をしてはいけません。母親には育児の苦しさに共感してあげるだけで十分です。

虐待事例によくあるような母子分離などは、くれぐれもしないように、間違っても児童相談所へ連絡しないようにしてください。支援者自身がこの重症度2以下の事例で緊張してしまい、対応を誤って騒ぎを大きくしてしまうことは少なくないのです。

重症度4以上のときに限って親子間へ介入し母子分離、重症度3は子どもへの積極的支援、ということになります。

重症度と介入については、下記記事にも詳しく書いてあります。

虐待へのカウンセリングで大切なこと

虐待された場面は思い出すことがあってもいまは動悸とかはありませんが、テレビでそのような場面を見たとき、激しい動悸が襲ってきます。これは虐待からまだ回復していないのでしょうか。

このような質問をいただきました。

虐待体験がトラウマとなってその人の日常生活を脅かしている間は、まだ、その虐待された記憶の断片が複数の写真となって、目の前のテーブルの上に散らばっている状態です。この状態がPTSDです。トラウマの一部である鮮明な写真が目に触れることで、当時の光景がフラッシュバックしてきます。そしてそのとき、その場所にいるのと同じ体験をします。

このようなとき、その虐待体験を詳細に何度も話すというようなことは逆効果です。その体験を話すことでその体験に慣れが起きてそれにしばられなくなるという認知行動療法からのアプローチ(PE)がありますが、このようなフラッシュバックを伴う強いPTSDに対しては、慣れが起きることは稀で、慣れどころか、その怖れが強化されて、片時もその光景が離れなくなってしまいます。フラッシュバックを伴う強い怖れのある記憶は、虐待を扱えるカウンセラーの前で少しだけほのめかして、忘れていくという作業が一番安全で再発のない方法になります。詳細を思い出すのではなく、「それを理解してくれる人の前で」ほのめかすという行為が重要なのです。

この状態になるとフラッシュバックは起きません。目の前のテーブルにあった当時の写真がこころのアルバムにきちんと収納されたからです。ときどきアルバムをひっぱりだして眺めることもあるでしょう。しかしフラッシュバックは起きません。この状態が、「虐待された場面は思い出すことがあってもいまは動悸とかはありません」という状態なのです。

命日反応

かつて自分を苦しめた、現実に起こった自分への虐待の記憶によって苦しめられることはなくなったのですが、それと似たような光景を見たときや、それに関連するような節目を体験したとき、嫌な思いがよみがえることがあります。節目とは、例えば、何年後かの同じ日付などのことを言います。これを命日反応といい、命日がやってくることの緊張により生じます。

ただ命日反応は緊張によるばかりでなく、弛緩によっても生じます。これはこころの底ではまだ嵐が吹き荒れているのに、「ああ、あれからもう1年経ったな」と緊張が緩むことでこころのフタがあいて、こころの底の嵐のしぶきが外の世界へ飛び出してくるために生じます。

これはこころの底ではまだ嵐が吹き荒れていることを意味するので、フタをし直して、もう少し時間をかけてゆっくりとこころの嵐を納めていくということをすればいいのです。フタは、臨機応変に、閉めることも必要なのです。こころは緊張しても、緩んでも、嫌な記憶がよみがえることがあるというのは、こういうことなのです。こころの不思議な営みです。

人間の記憶システムというものは、よくできていて、この不条理な虐待体験を理解してくれる人の前でほのめかしているうちに、だんだんと思い出さなくなっていきます。そして、目の前にちらばった鮮明な写真が、自分の記憶システムであるこころの本棚にあるアルバムに収納されてしまいます。○○年の記憶というタイトルのアルバムに収納されます。記憶は消えることはありませが、きっちりとアルバムへ収納され写真は経年変化の流れに乗り、セピア色に変化していきます。そして記憶の彼方へ消えていきます。

類似場面への曝露について

「テレビでそのような場面を見たとき、激しい動悸が襲って」くる場合はどうでしょうか。自分の虐待場面の想起では動悸は起きないが、類似場面では動悸が起きる。これは、類似のほうがリアリティを持つということです。類似の光景を見ることで、それが妄想的に膨らんでいき自家中毒のような状況になっているのでしょう。こういうときは、妄想を止めれば、当然ですが、動悸は止まります。PTSDとは違う、事実とは違う体験なので、すぐにストップします。

こういうときはその場から離れることが得策でしょう。妄想的な人、神経質な人、ものごとに完璧さを求めがちな人は、このような自家中毒的なPTSDを起こす場合がありますので、似たような場面には近づかないほうがいいでしょう。

類似場面でトラウマ反応を起こすこともPTSDの症状の一つとして上げられていますが、現実の体験の想起でトラウマ反応が起きない以上、PTSDからは回復しているとみていいと思います。そのときはPTSDの影響というより、その人の別の資質によるものだと考えたほうが妥当と思います。そしてカウンセリングによって、その資質の改善を図っていくと類似場面でもトラウマ反応を起こさなくなります。

虐待について原因からカウンセリングまで網羅的に知りたい場合は、下記記事が参考になります。

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