パーソナリティ障害というものについての基本的な考え方

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改訂 2020年4月30日:境界性パーソナリティ障害についての最新の情報については下記リンクからダウンロードください。

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アメリカの精神疾患を記述しているハンドブックに、DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル)というものがあります。

これは、例えば、うつ病なら、抑うつ障害群というジャンルがあって、抑うつ感が始終ある、早く目が醒める、などのチェック項目があり、その何個を満たしているかをチェックすることで、うつかどうかをまず割り出します。そして、うつ病単独なのか、躁病も併発しているのか、併発しているのならそのパターンはどうなのか、などと細かな区分があり、それを総合して、あなたは適応障害(PTSDの一種)だ、とか、双極性障害だ、とか、大うつ病だ、とか診断するのです。実にマニュアル的で、実際はそんな機械的に診断をしているわけではなく、まぁ、アメリカで保険点数を明確にするためもあり、そのために作られたものですが、世界に広く使われていたりするのでカウンセラーの私も参考にしなければなりません。

前の診断基準であったDSM-IV-TRでは、疾患と呼ばれるものはI軸というジャンルに区分されており、うつなどはI軸なのですが、パーソナリティ障害はII軸に区分されており、実は臨床疾患ではない、という区分けがされていました。DSM-5になって多軸診断が排除され、すべて疾患として扱われるようになりました。

つまりパーソナリティ不全で医者やカウンセラーにかかる人は大勢います。臨床疾患でないと区分されていても精神疾患には変わりなく、世の中を生き辛いことにはかわりなく、そのために医者やカウンセラーが居るわけです。そういう世の中のニーズに沿ってDSM-5の改訂が行われたということでしょう。

でも、臨床疾患と精神疾患の区別、これもちゃんと説明できないもので、このように区別できないものを区別してしまうというアメリカの事情(保険点数を考慮した)が大いに反映されたハンドブックであったわけです。このような不十分なものが大手を振って使われていいのか、という批判もありますが、研究的にも有用だったりし、また大体の目安をつけやすいということで世界的に広がって使われています。

さて、パーソナリティ障害とは、なんでしょう。DSMで規定されているパーソナリティとは人格という意味合いよりも、社会的な認知パターンという意味合いが濃いです。つまり「物事の関係性をどうとらえるか、どう考えるか」そのクセのことです。いわゆる「個性」というものです。言い換えると、個性的すぎる人がパーソナリティ障害の範疇に入ってきます。つまり、偏りの度合いが平均より激しすぎるわけですね。あまりに普通と違うので、本人も生き辛いし、周りの人たちもそれによって迷惑をこうむるわけです。

周りの人が迷惑を受ける、これは、時代によっても大差があります。例えば、寅さん。彼をパーソナリティ障害に入れる時代もやってくるかもしれません。

さて、偏っているときはどうすればいいでしょう。私はよく近視の人を例に出します。近眼が弱いときは眼がねは必要ない。でもさっきの寅さんじゃないですが、アフリカの原住民は遠くの獲物や危険動物をいつも察知する必要上、視力が3.0とか4.0はザラです。海で生活している海賊も同様でしょう(いまどき海賊はルフィーくらいしか居ないか。)。それはそういう視力を持たないと生活が成り立たないからです。彼らが東京にやってきたらどうでしょう。近くのものを注意して見れないし、すごく細かなところが目について、神経症になってしまうかもしれません。東京生活では視力4.0は必要悪なんですね。視力は1.5あればいい。

話は変わりますが、ロールシャッハテストという深層を見る心理テストがあります。そこで微小反応というのがあります。とても目が行き届かないくらい小さいものに何かを見ることをいいますが、それが出ると精神病圏を疑われます。しかし、アフリカの原住民へ幾度もロールシャッハを施行した人が居て、その結果は、ほとんどが微小反応だったそうです。つまり、とても小さなものを見る目がないと、生き残れないわけです。サバンナの遠くに動く獲物を狩れるかどうかの瀬戸際にいる彼らにとって、微小反応を出すことは生死にかかわる問題なのです。このように時代や場所が変われば、精神疾患も変わるということです。

現在都会で生活していくには、視力は1.0~1.5あるのが適当ですが、偏りも同じようなもんです。現代の都会で生活するのに適した偏りの性格ってのは存在するわけです。そこに入っていると、パーソナリティ障害とは見なされない。個性ってのも、さほど強いものでなければ障害と見なされないけれど、ちょっとでも強さがある基準を超えると、即座にレッテルを貼られるのが現代です。それは日本だけに限らない。DSMを作ったアメリカでさえ同じことなのです。

でもそれはみんなと生活していくにはある程度仕方ないことです。(これを仕方のないこと、って思えるかどうかも健康度の一つだとおもいます。)そのために眼がねが必要になる。ちょっとばかり偏った個性を通常に戻すための目がねです。そのような眼がねを普段はかけて生活している。でも、眼がねって寝るときは外すでしょう。偏り個性矯正眼がねも寝るときは外す。つまり夢の中では何の気兼ねなく、自分の個性を発揮できるわけです。

危ないのは夢が現実ににじみ出してくるとき、そのとき、パーソナリティ障害から臨床疾患の範疇に入ってきます。そのときはちゃんとした治療が必要になってきます。

話を元に戻しますが、個性矯正眼がねとは、認知パターンを自分なりに認識していることになります。それができていると周囲の人と摩擦が少なくなるわけですね。根本から性格は変えられないし、変える必要もない。特に20歳すぎたら変わらないと思っていてください。それは度が進んだ近視が治らないのと同じことです。でも眼がねかければ支障はないでしょう。その眼がねを作る役目がカウンセリングなのです。(当センターが行うマインドフルネスをベースとしたカウンセリングはそのような眼がね作りに適しています。)

検眼期間(カウンセリングの回数)も、個性の強さ、個性の傾向、また周囲の状態などで個人差はありますが、まずは2~3年くらいを目安にスタートするのが適当と思っています。焦らずにやることです。そしてパーソナリティ障害の人は途中で脱落することが多いので、継続が大切です。継続しつつ、焦らず、カウンセラーと普通の人間関係を構築していくことです。

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