お悩み相談室

ソレア心理カウンセリングセンター

2018.07.13 |うつ・不安

感情の場所と順番

うつ病は気分障害と言われます。気分のみなもとである感情は、どこにあってどのように私たちへ影響を与えているのかを探ってみます。キーワードは、頭、こころ、身体です。
(DSM-5の診断基準では、抑うつ障害・うつ病性障害というカテゴリーに分類され直しました。)


■頭で考えることをやめる

こないだ大学の構内にあるフレンチレストランでのジャズライブに行ってきました。東京の多摩地区にある大学ですが、その中に市民に開放されたフレンチレストランがあるのもびっくりでしたが、コース料理つきのジャズライブというのもなかなか贅沢な夜を過ごしました。

演奏はスダンダードな4ビートだったんですが、わが心のジョージアの演奏中、Bassのソロになってはじめの数小節目のあたり、Bassがブルーノートを弾いたのです。G♭。

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ブルー・ノート・スケール(ブルース・スケール、blue note scale)は、定義にばらつきはあるが、ジャズやブルースなどで使われる、メジャースケール(長音階)の構成音およびその第3音、第5音、第7音を半音下げた音を加えた音階である。もしくは、マイナー・ペンタトニック・スケールに♭5を加えた形であり、このとき♭5の音をブルーノート呼ぶ。近代対斜の一種でもある。(Wikiから借用)
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つまりこちらが期待していた音(G)より半音低かったわけです。それがとてもジャージーな感じで、私は一瞬ニヤッとしたんですが、その私の反応よりも早く、その音が鳴ったと同時くらいに「イエィ」という声がかかった。

ほんとにイントロクイズ早押しドンのような0.1秒いくかいかないかくらいで、瞬間的に声がかかった。100mでカールルイス(古すぎですね笑)がスタートの銃声を聞いて反応するくらいの早さ。まさに頭に入ってくる前に身体が反応したような感じ。

これにはびっくりしました。会場の人の声か、他の演奏者の声かと思いましたが、あとから聞いたら席の後ろから聞こえたとのこと。あのような瞬間的な掛け合いが演奏者と客席の間に生まれたことは、あの会場には確かにジャズ的な密度の濃さがあったという証明だと思います。

ここから心理の話題です。

ジャズの掛け合いというのは即興です。そこには「今」しかありません。過去も未来もそこにはないのです。あの「イエィ」は頭で考えていては発声することはできません。身体が純粋に「今」という時間の中で反応しないと出てこない声です。

私たちは、過去を後悔したり未来を不安がったりします。これは頭で行っていることです。ここには「今」はありません。では今はどこにあるのか。

それは、私たちの心と身体にあるのです。(頭=認知は、心ではないのです。ここがまず重要です。)そして、頭というのは「今」が苦手なんですね。だから今を感じるには、心と身体をオープンにする必要があります。頭で考えることを止める。そして心と身体に耳を澄ませること。これによってあなたは頭のコントロールを離れて、今を生きることができます。今を生きるとは、心と身体を開放すること、本当の自分を生きるということです。頭で考えて生きているうちは本当の自分を生きてはいません。

しかし、心に耳を澄ませようとすると必ず頭からの邪魔が入ります。ですから、まず身体に耳を澄ませることがやりやすいのです。今、身体はどんな感じだろうか、ということに気をくばるのです。

これをマインドフルな私といいます。

そして身体は「自然」へつながっています。今、この瞬間、冬の寒い風が吹いているとします。マインドフルとは、その今の自然に没入するのです。「ああ寒いね、ああ寒い、暖かいね、寒い」そんな感じです。暖かいねが、ほんのわずかに感情(心)へ入りこむ。(この感じは宮沢賢治的世界のように思います。なぜか理由はわかりませんが、今この文章を書きながら、彼の「やまなし」の情景が浮かびました。たぶん、やまなしには自然の中で生きることが描かれていて、生と死がそこにはあるからだと思います。今を生きるとは、今を死ぬことでもあるからです。)この自然と身体がつながっている状態が心にとっては心地がよく、今という瞬間を生きているのです。

現実問題としても、私たちが生きているのは「今ここ」の一瞬に生きているわけです。過去にも未来にも生きることはできない。今にしか生きることができない。同時に、今の一瞬に死んでいる。それが現実なんですが、心に傷を負うと、過去や未来が頭から離れなくなり、心や身体のことを忘れてしまうのです。


■ニセの感情と本当の感情

さて、今を感じるために、頭で考えることを止めて心と身体をオープンにすると言いましたが、このことはどのような感情を感じているのか、ということにも関係しています。

自分というものには、社会的な自分と、本来ののびのびした自分の、2つの自分があります。ユング心理学では前者をペルソナ、後者をシャドウと呼びます。(シャドウの意味はそういうことではないという反論もあるかもしれませんが、私の少ない臨床経験から申し上げると、シャドウこそ本来の自分であると思いますので、のびのびした自分をシャドウと呼ばせていただきます。)精神分析的には、前者を偽りの自己、後者を本当の自己と呼びます。

自分にはこのように2つの自分があり、それを自分の中にかかえながら人間は生きていきます。これが動物とは決定的に違うところです。同じように、感情にも2つの感情があるのです。


ニセの感情と本当の感情です。


ニセの感情は浅い感情です。意識的な感情で普段私たちが日常で感じる感情は、このニセ(浅い)感情であることが多いのです。本当の感情は深い感情です。無意識の中にある感情で、なかなか私たちの目の前に現れません。しかし何かの拍子に、意識のコントロールを外れて、ピョコっと出現して自分や周囲の人々をびっくりさせることもあります。

そして、ニセの感情は頭の中にあります。つまり頭が感じるのは浅い感情ということになります。
本当の感情は、こころ(=身体)の中にあります。こころや身体が感じるのが深い感情なのです。

さて、本当の感情というのはなかなか出てきません。無意識の中にあるからです。また、頭がコントロールしてそれを出さないようにしているからです。頭とこころ(身体)の間にはフタがあって、普段は、それを開かないように頭がコントロールしています。暮らしの中で、少し悲しかったとか悔しかったとか感じる感情は、本当の感情ではなく、浅い感情、つまり頭の中から出てきている感情のことが多い。頭のコントロールが効いているので安全な感情とも言えますが、意識で操作されている感情なので、人間の欲に結びついた感情とも言えます。

本当の感情=深い感情は、頭でコントロールされたフタの下側、つまり無意識のこころ(身体)の中に封じ込まれています。頭のコントロールから外れているため、何かの拍子にそれが出てくると、とっさに反射的な反応をしてしまいます。同時に、これらの本当の感情は、頭ではコントロールされていないので、欲がありません。つまり純粋なのです。そこにあるのは愛だけです。


頭由来のニセの感情は欲のたまものであり、こころ(身体)由来の感情は愛のたまものなのです。


本当の感情には、喜怒哀楽があります。これらが無意識の中に閉じ込められています。頭がしっかりとコントロールして、それらが出てこないようにフタをしています。精神的な苦悩をもって生きている人々には、とても大きな怒りや哀しみがあります。これらの怒りや哀しみは、とてつもなく大きなもののように感じるため、それが出てこないよう、しっかりとフタをしようとします。頭がしっかりとコントロールして、とても重たいフタをしています。

しかし、頭にとってはフタをするだけなので支障はないのですが、こころ(身体)にとってはこれらの感情は出してしまいたい。ですから、このような状態が続くと、こころや身体は不自由さを感じて叫び声をあげます。これが様々な症状として現れます。一番身近なものとしては、フラッシュバックやパニック症状、解離、アトピーなどとして現れます。

ですから、このような本当の感情は自分で表現していくことが必要なのです。隠しておかずに表現するのです。話すのです。(岡本太郎はそれを前衛芸術という形で表現しました。)


これらの本当の感情である喜怒哀楽は、怒→哀→喜→楽 の順番で現われてきます。まず怒りが出てこないといけない。それが出切ってしまうと、次に哀しい感情が出てきます。うつうつとします。それが出切ってしまうと、喜び、そして最後に楽な気分に到着します。感情が出てくる順番は、この順番で必ず出てきます。まず怒りを表現することが大切なのです。


最近は、ポジティブ思考がもてはやされていますが、ポジティブに考えるというのは、ネガティブな気分と込みでないと意味がないということです。喜びや楽しい感情は、必ず怒りや哀しみとセットになっているからです。

怒りや哀しみとセットになっていない喜びや楽しいという感情もあることはあります。しかしそれは本当の感情ではなくて、ニセの感情、つまり頭で操作している浅い感情なのです。それを本当の感情と間違えているだけなのです。ですから、ポジティブ思考というのは実に浅い考え方で、精神症状を軽減するだけの力はありません。

気分障害(うつ病)の人が治っていくためには、本当の感情を出すことが必要です。ポジティブ思考では浅い感情を扱うだけなので、それを乗り越えることはできないのです。本当の感情を出し切ったあと、ポジティブ思考を使っていくことは効果的ではありますが、使う順番が大切ということです。


参考図書:「普通がいい」という病(泉谷閑示)
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