お悩み相談室

ソレア心理カウンセリングセンター

2018.07.13 |情緒不安定・パーソナリティ障害

弁証法的行動療法(DBT)の実際

高田馬場の認知行動療法センターに行きました。




独立行政法人 国立精神・神経医療研究センター主催の、「弁証法的行動療法(Dialectical Behavior Theraphy: DBT)とマインドフルネス」研修を受けるためです。精神科医、病院心理職が対象の専門家向け研修でした。DBTはアメリカのリネハンが始めた境界性パーソナリティ障害(BPD)に効果的な認知行動療法と言われているセラピーです。私のカウンセリングは認知行動療法はほとんど使わず、使ったとしても治療がゴールする寸前で、隠し味のように使うだけですが、その私がどうしてこの研修に参加したのかと言うと、『マインドフルネスがどのように弁証法的に、行動療法で使われているのか』ということを確認するためでした。

以前、マインドフルネス認知療法の研修にも参加したことがあるのですが、そのときも同じ理由でした。そのときの研修で疑問として残ったことは、「マインドフルネス認知療法はヴィパサナー瞑想を現代風に焼き直したもののようだが、それならばヴィパサナー瞑想をやればいいじゃないか。」ということでした。この認識はいまでも変わっていません。行動療法にマインドフルネスを導入した場合、そのような残念な(?)結果というか、踏み込んだ言い方をすると行動療法として消化しきれていない結果になることが多いように思うのですが、弁証法的行動療法は結構有名なセラピーなので、もうちょっと違うニュアンスがあるのかもしれないという期待もしていたわけです。そして弁証法的と言うからには、マインドフルネスがどのように弁証的に使われているのか、これも外せない興味でした。


研修は、(1) DBTとマインドフルネスの講義、(2)マインドフルネスの実習、(3)実際のケースを使ったカンファレンス的なロールプレイの3部構成でした。私の感想を交えながら順番に紹介していきましょう。講師は、ヒューマンウェルネスインスティテュートの石井朝子先生でした。

【DBTとマインドフルネス】

DBTとはリネハンが始めた境界性パーソナリティ障害へ向けた認知行動療法として知られています。療法(セラピー)というよりも、集団で行う心理教育、トレーニングという趣が強いと講師も言っていました。これは実際、精神科医の斉藤学も言っていました。DBTはセラピーでなく教育である、と。教育であるからにはその背景には厳しさもあるということです。例えば宿題があります。宿題をやってこないとみんなの前で立たされて、やってこなかったという脆弱性(そのように講師の方が表現されていた)について検討が加えられます。契約が強調されて、これはこれでキツイ療法だなというのが実感です。最後のロールプレイでそのことを強く感じました。マインドフルネスと背反することをやっているように感じます。どうしてDBTがこのような展開になってしまうかというと、行動療法的なドライなやり方であるからということはあるとは思いますが、それよりも自己責任を前提とするアメリカならではの方法が根底にあるからでしょう。日本ではちょっと無理かもしれない。これはまた後から考察します。

どうして境界性パーソナリティ障害へ向けたものであると言えるかというと、それは怒りを始めとした情動をコントロールするところに主眼が置かれているからでしょう。このDBTは、リストカットや過剰服薬などの自傷行為を軽減するところにフォーカスが当たっているからです。リスカや過剰服薬をする人たちが皆、境界性パーソナリティ障害かというと、それはちょっと乱暴なくくりなので賛同できかねるのですが、一応、DBTではそういう定義のようです。リスカしないためには、過剰服薬しないためには、という戦略を相談者と一緒に作って、それをオーダーメードのメニューとしてそれに添って生活をすることを強制します。つまり宿題があってそれをやることを強制されるわけです。宿題は行動療法では普通に用いられますが、一般のカウンセリングではそのようなことはしません。宿題はなくても回復はするわけですが、行動療法というセラピーの特質としてやはり宿題は外せないのです。

もう1つ、一般のカウンセリングと違うなあと違和感を感じたところは、例えば「リスカしない、過剰服薬しない、覚醒剤を使用しない」と契約させるところです。相談者は、のっぴきならない理由があってリスカしているわけなので、そこを受容することが優先です。覚醒剤の使用なども法律に反してはいるけれど、早急に止めさせるといいことはありません。酔いが必要なときはあるのです。心身が酔いを必要としているときがある。依存症の方々はそういうのっぴきならないところで、薬物や食べ物やアルコール、買い物、セックスなどに依存して、酔っぱらっいながら日常の均衡を保っているのです。リスカしないこと、と大上段に構えられると相談者の人は困ってしまい、セラピーが進まなくなり治療をドロップしてしまうことがある。リスカはしてもいいよ、リスカは問題にしないよ、これが普通のカウンセリングの姿勢と思いますが、DBTを始めとする行動療法は、そのようには考えないようです。ここが大きな違いでしょう。

依存症の施設で有名なダルクの上岡陽江さんは、「薬はあまり早くやめないほうがいい。立ち方がよくわからないくて必死に生きているのに、支えになっている酔いを取ってしまうと、もっと生きられなくなってしまう。」と言っています。「覚醒剤は止まらなくても、飲み続けるとカラダ壊すよ、少しやめる方向を向きながら仕事をしてみましょう。そういう情報を提供していくことをやっていく」ことが大切だと言います。この戦略は「受容」ということであり、この受容の向こう側に、(弁証法的な)葛藤を通した絶望の受容があり、それによって依存症が克服されていく。これが多くのカウンセリングが採用しているはずのものですが、行動療法は、この受容意識が弱いということなのでしょう。DBTは、Validationという受容態度を重要な位置に位置づけていますが、それでも何か足りない気がします。


□弁証法

そしてもう1つ、DBTのキーポイントである弁証法について。弁証法とは哲学者ヘーゲルの概念で、正反合のことです。ある一つの生き方Aがあります。例えば「人に尊敬されることをして社会的に認められたい」という生き方をAとします。それに反する生き方をBとします。例えば「愛情、お金、賞賛などは必要ではない。もっと自由に生きたい。」という生き方をBとします。これが正と反です。この2つの生き方を両方を認めていくことで、より高次元な生き方C(これを心理学的には「気づき」といいます)に到達すること、これを正反合といいます。例えば「社会的に認めてもらえないことをすると、友達や家族から非難され絆が切れることになるかもしれないのでそれはできないが、社会的なものから離れて自由に生きることも自分らしいよね。必要なら何かの秘密があってもいいよね。」というような生き方です。ここに到着するまでは、AやBを行ったり来たりしながら、その中でにっちもさっちもいかなくなるということを経ないとCには到達できません。つまり、高次な生き方を得るのは命がけとも言えるのです。Aだけではうつ病になってしまいます。Bだけでは社会的に孤立します。そこでCという生き方が活きてくるのです。

弁証法は気づきを得るためのものですので、DBTだけでなく、あらゆるカウンセリングの基礎となっているものです。ではDBTではどのように弁証法を使っているのでしょう。DBTではヘーゲルの正反合に、エンゲルスの自然弁証法を加えたものだそうです。哲学のサイトを見ると、自然弁証法とは、「自然界には絶対不変のものはなにひとつなく、すべては生成・消滅の過程にあり、自然は各種の運動形態が相ついで生起する歴史的過程であり、それらは互いに関連しあい移行しあいながら、統一的な世界を形成している。自然界の運動、変化発展の一般的な法則としての弁証法を意味する。」とあります。分かったようでさっぱり分かりません。これがどのように心理学的に使われるのか。

私は、これはニーチェの永遠回帰と同じことを言っていると思います。あらゆるものは変化する。ニーチェの永遠回帰は、らくだ→トラ→幼な子、この変化を繰り返していきます。幼な子かららくだに戻ったとき、そのらくだは以前のらくだではありません。悩みがなくなるときはありません。死ぬまで悩みは続きます。ただ一つ言えることは、悩みの質がどんどんと上がっていく。悩みがバージョンアップしていく。これがカウンセリングによって生じることであり、自然弁証法は、この悩みのバージョンアップのことを言っているかなと思っています。そうすると、DBTは、なかなか本質に目を向けているな、とは思うのですが、そのように説明されたわけではないので、ちょっと分かりません。

講師の正反合の説明では、「境界性パーソナリティ障害の人は白か黒かどちらかに焦点が当たっている。その両方を感じることが「合」である。それはグレーになることではなく、白と黒が入り混じって玉虫色になっている状態、統合されて違う模様になっていることだ。」と説明していました。玉虫色という状態は、私が思うには「合」へ至る前の状態だろうと思います。もうちょっと突っ込めないかなと思っていると、「玉虫色になって佇んでいられることです」と言う。そうだよ、そう。「たたずんでいられること」そう、そう、それが「合」なのだ。その説明がなければ、私はそこで帰ってしまいたい気分でした(笑)。これでもうちょっとDBTに付き合ってみようかという気になりました。

そこにたたずむというのは、今、私は怒っているのだという状態に気がついていて飲み込まれていない状態、棚上げにしている状態です。マインドフルネスの状態です。マイナスの感情に飲まれていない(私は、マイナスの感情さえ良いと思いますが)、そこに一緒にいて、自分でそれをあやしていくこと。これがマインドフルネスの受容です。講師は「勝ち癖をつけていく」と表現していましたが、それは何かちょっと違うように思います。行動療法ならではのアメリカ的な表現かと思いますが、マインドフルネスとは、もともと勝つとか負けるとかは問題にしないこと、弁証法とは勝つとか負けることを超越していくことなので、勝ち癖というより、自分をバージョンアップしていくこと、つまり自然弁証法的な生き方を目指していくこと、という表現が正しいのではないかと思いました。

DBTでは、境界性パーソナリティ障害の弁証法的な動きとして、行動パターンにおける3つの弁証法的ジレンマというものを想定しているようです。一つ目は、止むことのない危機-悲嘆の抑制の軸、2つ目は、情動の脆弱性-自己不承認の軸、3つ目は、積極的受動性-見せかけ上のコンピテンスの軸です。コンピテンスとは心理学用語で潜在能力のようなものです。これではさっぱり分かりませんので、止むことのない危機-悲嘆の抑制の軸を例にとって考えてみます。止むことのない危機(Aとします)とは、例えば、性虐待によるフラッシュバックなどのトラウマに直面している状態です。悲嘆の抑制(Bとします)とは、そのトラウマの嵐から逃れるために自分のこころを身体から切り離してここを守っていること、つまり解離です。もっとも重篤な解離は別人格の出現です。このAとBのジレンマから新たなCという地点をめざそうとするのが弁証法です。

DBTの弁証的戦略についてご紹介しておきます。戦略とは、実際のDBTでトレーナーがどのような弁証的な態度で患者に向かうのかということです。具体的には次の4つになります。(1)拡張、(2)メタファー、(3)パラドックス、(4)災い転じて福となす。

拡張とは、大げさに言うことです。不遜(ふそん)なコミュニケーションともいいます。例えば、セラピーって役に立たないんですねと患者が言ったとします。セラピストはそれを受けて、OK、じゃ止めましょう、と答える。うつの人が髪のセットがうまくいかないと気にしていたとします。それを受けて、でもさ生えてりゃいいじゃん、と答える。セラピストが、わざと、セッションに身が入らないようなフリをする。つまり、極端な言動を相手に投げかけて本人に重要なことを気づかせるために拡張は行われます。でも、この感じって、みなさんどう思われますか?全然受容されている感じがしませんね。これでは患者が治療からドロップしてしまいます。弁証法的な戦略であるとの主張ですが、治療は患者のためにあるのであり、DBTを擁護するためにあるのではありません。境界性パーソナリティ障害の人は、感受性が鋭敏であるので、このような態度を取られると非常に傷つきます。不遜なコミュニケーションは良くないのです。アメリカでそれが使えても、日本では使えないでしょう。日本的に言うなら、落語の「サゲとか落ち」というなら良いでしょう。サゲや落ちには抜群のユーモアのセンスが必要です。セラピーって役に立たないですねと患者から言われたとき、サゲを意識した場合は、「そうなんですよ。治る人はそのことに必ず気がつくんですよ」と返します。この返しは、後述するパラドックスの要素も含んでいます。サゲとか落ち、っていうのは「がくっ」という感覚です。吉本の舞台で、何かの発言を受けて最後にみんなでガクッとこけますよね。あの感覚です。あのガクッ感覚はきわめて弁証法的です。

メタファーとは、例をあげて説明することです。苦悩に耐えることを、毎年除草してもタンポポは必ず毎年生えるよなど、例をあげてメッセージとして伝えることです。これが弁証法的であるかどうかは私自身よく分かりません。メタファーによって何かに気づかせるということでしょうが、単純にはいかないでしょう。寓話を含んだ話でないと弁証法的深みは出てこないように思います。

パラドックスは、落語のサゲ、落ちで説明したことに類似しています。禅の公案とも言われますが、そんなにわけの分からないものでもありません。サゲのところで説明したような、セラピーは役に立たないものなのだとセラピストが主張する、そのガクッ感覚です。それに気がついているあなたはすでに治っていますよというメッセージ(暗示)です。そういうメッセージはユーモアでこころが緩んだときに入りやすいのです。パラドックスもそれが意味を持つには、ガクッ感覚が必要です。

災い転じて福となすとは、レモン(苦いもの)からレモネード(甘いもの)とも言わているそうです。苦労して大変だね、とセラピストが患者を受容しながら、何らかの意味をそこから見出せるように受容しつづける態度です。これはあらゆるものを受容するというカウンセリングの原則に従った共通普遍の原理と言えそうです。ですので、あえて戦略を言わなくてもいいかと思います。

以上から、弁証法的戦略としては、ユーモア(サゲや落ち)とガクッ感覚、これが日本的にローカライズされたDBTには必要であると言えるかもしれません。


□治療契約

DBTをはじめる前には、契約書を交わします。これはアメリカでは一般的なのかもしれませんが、日本にはなじまない慣習です。契約書という固い治療関係を結んでしまうと、治療が制限されて、自然な進展を拒んでしまう可能性も十分にあります。境界性パーソナリティ障害を想定しているからかもしれませんが、解離性障害、虐待、思春期問題などの人には向かない慣習です。(そして、境界性パーソナリティ障害は、なによりも、思春期問題であるから、契約は向かないのです。)

契約書には、リスカをしたらその日のサポートはしないとか、セッションを何回欠席したらDBTのトレーニングは受けられなくなるとかの内容が書いてあるそうです。いわゆる自己責任の確認ということですが、これはマインドフルネスの精神とは少しズレているように感じます。また、自己責任は成人期の人にしか有効ではありません。境界性パーソナリティ障害や虐待を受けた人の精神的成熟度は成人に達していませんので、自己責任を言うことは矛盾するように思います。また精神的に成人未満の人と契約書を結ぶという行為自体、無効なような気がしますがいかがでしょうか。一般的に実年齢で大人になっていない人とは契約書を結べないように、心理学的な年齢で大人になっていない人とは契約書を結べないと思うからです。

治療自体、心理学的なことをやりますので、心理学的な精神年齢(精神的成熟度)の視点に立って考えても不都合はないだろうと思います。


□DBTの実際

DBTはマインドフルネスという地面の上に、3つの主要スキルが構築されたテクニックです。それによって問題行動を適切行動に変えていくことを目指します。

さて、実際のDBTは、1週間に1回、90分の集団プログラムを6ヶ月、計24回続けます。日本では3ヶ月のプログラムに圧縮されているようですが、ここで何が行われるかというと、一言で言うと、「起きていることに直面化させて再教育する」ことが行われます。つまり勉強するのです。集団でやるメリットとしては、クラスとしての求心力があるため脱落が少ない、仲間意識が生じるので頑張れる、卒業生の会があるのでアフターフォローができる、などです。集団プログラムには必ず付きモノである、プログラムの会場以外では会ってはならないということを誓約させられます。このマインドフルネスの再教育によって、1年後くらいには、抑うつ、不安、怒りなどを減少させることを目指します。

DBTはセラピーというよりもコーチングに近いものかもしれません。セラピストに求められる資質として、変化を要求する能力(リストカットは止めようね)、ゆるぎのない自信(自分を信じて、患者を信じ、患者の中にある良いものを探す知恵や導く力があること)、患者の受容(リストカットしてもしょうがないよね)、患者を信じて突き放す(善意ある要求をする)、DBTのスキルを1つ1つ患者へ教えていく能力などが求められます。スキルはマニュアル化されているので、コーチするほうも、されるほうも、活用しやすいでしょう。コーチが途中で変わっても、マニュアルで進めているので問題はないようです。このへんがカウンセリングと決定的に違うところです。カウンセリングでは、今日は担当カウンセラーの都合が悪いので別のカウンセラーです、ということはあり得ないので。

ただ、気をつけておかないといけないと思うのは、マニュアルなので緊急時には効力を発揮し、繰り返し行うことで習慣化・定着できるという利点はあるものの、症状を出してきている本質的なものへのアプローチはされないということです。これは言わば、地雷を撤去するのではなく、地中1mくらいに埋めてしまうということなので、将来的に再発しないかどうかの保障はないことになります。境界性パーソナリティ障害は母子関係をベースにした思春期心性の葛藤が暴走したような状態なので、そこへのアプローチがされないとすると、ある時期を経て再燃する心配もぬぐい取れません。

治療の構造はモードとモジュールというタイプに区分されます。


□モード

モードはDBTの治療スタイルを示します。つまり、集団でやるか、個人でやるか、電話相談なのか、ということです。DBTは集団でやるのが効果的なのですが、対面の個人セッションでも可能です。このときは、後述しますが、日記カードを見ながら宿題の出来不出来の振り返りをします。週に1回、60~120分のセッションで、患者の症状によってセッション時間が異なります。PTSDの症状を持った境界性パーソナリティ障害の方には、長時間暴露(Prolonged Exposure)と言って、トラウマの現場の出来事を詳細に語ってもらう手法を用いるので120分必要なようです。

このPEですが、行動療法ではよく用いられる手法ですが、これによって新たな治療トラウマを作ることもあります。行動療法のカウンセラーは、案外と躊躇せずにPEを使ったりするので、そのへんがどうなのかと思うことがあります。これは眼球を指の動きに合わせて左右に動かすEMDRでも同じことです。「最新の」といわれる治療法には、このように強引に引っ張っていくような治療が多いように感じるのは私だけではないと思うのですが。

集団セッションは、週に1回、120分のセッションです。ここでは4回のキャンセルでDBTの治療はストップします。再治療はない、そうです。そのようなしっかりした契約をしたうえでスタートするわけです。DBTも行動療法なので、メインは家庭学習である宿題が出来たかどうかをチェックしていきます。日常生活でそれがどのように使えているのを参加者全員でチェックしていくわけです。もしそれが出来なかったとしたら「自分の脆弱性(ぜいじゃくせ)はどこにあるのか」ということをみんなの前で再検討させられます。(うーーーん、厳しい。。ですが、そのようなスタイルなので、手を弱めることはしません。)このような自分の行動や気持ちへの再検討を随時行うセッションですので小学校4年生以上の年齢が対象になります。集団セッションでは、後述するモジュールを勉強していきます。そのとき、ある参加者の問題場面を正と副のセラピストがロールプレイをして、それを参加者に見てもらいます。そうすることで、具体的なスキルを身につけていくわけです。

電話セッションはどのように行われるかというと、たとえばリストカットしてしまった、と電話が入ったとします。このときは、リストカットしてしまったから電話相談は受けれないよ、リストカットする前に電話してきてね、と言って、電話を切ってしまうようです。行動療法では、その行動をしないということが大前提にあるので、このような対応になるようです。普通のカウンセリングはリストカットもいいよという場所から始めるので、ここが大きな違いでしょう。電話をかけてきた人がまだリストカットする前だったとします。そうするとセラピストは、リストカットするかもしれないという危機的状況を乗り越えるためにコーチングを始めます。「OK、まだ切ってないんだね、マニュアル手元にある?それのどれができそうかな」そうやってリストカットしなくてもいい気持ちに着地させていきます。そして「切りそうになったらまた電話してね」と電話を終えます。


□モジュール

モードの話はこのくらいにしておき、次はDBTのスキルの集大成であるモジュールの話です。認知行動療法はマニュアルに沿って治療が行われるので、どういう技法が用いられるかに目が行きがちです。それもわからないわけではないですが、DBTの真髄はマインドフルネスおよび弁証法にあるわけで、ここはスキル化が非常にしにくいところです。弁証法については、治療者がコントロールする治療の枠組みであるということで、スキル化はされておりません。DBTにはいろいろなスキル=モジュールがあるのですが、真髄の部分はスキル化がしにくい(できない)状態で提案されているという情けないというか、しょうがない部分があります。モジュールの詳細は、リネハンの本を見ていただくとして、ここでは簡単に紹介しておくことにします。

モジュールは大きくわけて3つのスキルの集大成です。(1)マインドフルネス、(2)感情を調節する、(3)苦悩を耐える。この3つです。これ以外に(4)効果的な対人関係を築くためのスキルもありますが、こちらはオプションとして考えていていいそうです。集団セッションで主にフォーカスがあたるのが、上の3つということです。これら3つのスキルの80%はすでに他のセラピーで使っているもので、DBTオリジナルなものは20%ほどだそうです。

6ヶ月の治療プログラムでは、(1)2週間→(2)6週間→(1)2週間→(3)6週間→(1)2週間→(4)6週間 というサイクルで進みます。マインドフルネスのスキルが繰り返し、サンドイッチのように入っていることに注意してください。マインドフルネスはそのくらい重要であるし、習得が難しいということです。どうして習得が難しいかというとマニュアル化できない部分が多いからです。

この治療プログラムの目標は、日常生活において「悲しみ」や「苦しみ」を引き起こす行動・感情・思考のパターンを変えるスキルの習得というところです。行動療法が「さっぱり」としているのは、スキルが習慣化すれば生活の資質は向上するよ、と言い切っている部分です。境界性パーソナリティ障害がスキルの習慣化だけで治癒するのかどうかということは、それはムリだろうというのは多くの治療家の共通した意見だと思いますが(なぜなら、それは母子間の思春期問題であるから)、これらのスキルが緊急時を脱したときの日常生活の向上にはつながると思います。ですから、個人的な意見ですが、DBTのプログラムは、境界性パーソナリティ障害の治療が治癒過程に乗ってきたときに、非常に限定的に1ヶ月程度でスポット的に使うのがいいのかもしれません。少なくとも、認知行動療法全般に言えますが、行動療法は治療の最終局面で使うものであると思います。


(1)マインドフルネス

この概念の語源は、初期仏教までさかのぼり、サンスクリット語でSati(サティ)といいます。「思い出す」という意味です。こころが真理に対して開いている状態です。漢字では「念」と訳します。念とは「今の心」。今ここを思い出す(気づく)心の状態でいることです。つまり、現在の自分のこころの状態を把握することをマインドフルネスと言います。怒っているのなら、その怒っていることを、悲しんでいるなら、その悲しいことを把握することです。行動療法的には、この把握することを、非強化的暴露法と呼んでいるようです。マインドフルネスとは初期仏教での教えだけで十分と思うのですが、DBTは、西洋のセラピーという主張かどうかはわかりませんが、禅(仏教)と黙想(キリスト教)を足して2で割ったものと教えられます。この主張がどの程度、的を得ているものであるのかは、私には分かりません。黙想とは懺悔のことであり、自分のいたらなさに気づく訓練、見たくない自分に向き合うことらしいです。

DBTでは、自分の心を「把握」して「対処」するスキルと定義されます。「把握」するとは、観察し、表現し、参加することです。自分が体験していること(例えば相手から攻撃されたと感じている体験)を観察して巻き込まれない状態でいる。それを言葉で自分に説明をする。次にその体験に入って、あれこれ考えることを止める。これがマインドフルネス的な体験把握スキルです。言ってみれば、体験というお風呂にどっぷり浸かっている状態です。逃げずにそこへ留まり続けるということです。行動療法的にみると「暴露」し続けるということですね。これは慣れていないととても怖いことです。首根っこをつかまれて自分がもっとも恐怖する場所へ放り込まれるわけですから。でも、それは怖くないんだよ、自分でコントロールできるんだよ、ということを自分で体得するために、DBTではマインドフルネスの技術が使われているわけです。実際に研修でも、ここが重要なポイントだと説明されていました。

これは一見すると効果的なことのように思うかもしれませんが、ほんとうに注意して練習しないとトラウマという嵐の中へ放り込まれて、怖くないよ、怖くないよと言われるわけなので、嵐の中にそのような小さな声など聞こえようもありません。つまり、この把握スキルの練習中に、治療トラウマを新たに作ってしまう可能性があります。治療トラウマとは、トラウマを解除しようとして治療していく中で、新たなトラウマを作ってしまうということです。トラウマワークに慣れていないDBTの治療者が、ただマニュアルに沿っただけの治療を行うと危ないでしょう。トラウマというものはものすごいエネルギーを持っています。それは個人個人違った色合いをもったものです。それがマニュアルによって軽々しく扱われると医療事故につながりかねないのです。


これはDBTのマインドフルネスの持つ大きな危険性のひとつのように思います。本来のマインドフルネスであれば観察するだけで十分のはずです。表現して参加するのは、弁証法的にいうと、正反合の合の部分、つまり最終的な到達点と捉えるべきでしょう。つまり、「自然に」表現して参加できるようになったということです。この自然に、というのが重要で、それこそ弁証的な結果です。どうしたらこの自然に表現して参加できるようになるのでしょうか。それは教育やトレーニングによって到達できるわけではなく、治療的傾聴によるカウンセリングによってこそ、そこへ到達できるのです。なぜなら治療的傾聴とは弁証法的な正反合を目指しているからです。自然に表現するとは、その表現の向こうには自分の感情の受容が必ずあります。自然な感情が流れ出しています。そのことによって参加することが可能になるのです。自然な感情を流すようにするにはトレーニングでは難しいのです。治療的傾聴による自己受容を体験する必要があるのです。

「対処」するとは、判断せず、一つのことに集中し、効果的なことをすることです。これは相手から攻撃されているという体験について、ひどい、悪いなどの判断を棚にあげて、いま自分が椅子に座って攻撃を受けているのなら、椅子にすわっているという事実に集中して、つまり椅子に接しているお尻の感覚を観察して、効果的なこと、例えば呼吸を続けるようなことをします。DBTとしては3つの対処に分けていますが、本来のマインドフルネスとしては、今ここで感じる一つのことに集中するだけで十分です。立っているのならどのように体重が足の裏にかかっているのか、身体の緊張はどのへんにあるのか、姿勢はどんな感じなのか、そのようなことです。緊張を解くとか姿勢を正すとか、そのようなことはしません。それはマインドフルネスではありません。ただ今の状態に集中するだけです。

DBTでは、怒りの強いときは呼吸が整わないので、ダンス、発生、食べ物などに集中させたりします。これらのマインドフルネスについては、研修でも行いましたので、体験談として後述します。

このようにみていくとDBTで言うところの、把握して対処するとは「自分を観察して、今感じていることに集中する」ということになります。これはヴィパサナー瞑想そのものであり、DBTもマインドフルネス認知療法と同じで、ヴィパサナー瞑想法をマスターすることを主としたトレーニングである、ということでしょう。

個人的には、自分を観察して自分に集中するだけですので、ヴィパサナー瞑想を訓練する必要もないでしょう。普通の瞑想で十分です。毎日10分、目を閉じているだけです。しかし、この目を閉じて湧き上がる雑念とともにいるのは結構難しいです。雑念は雑念のままにしておく。雑念が湧き上がらなければよいということでもありません。雑念は雑念のまま、それに囚われない。そこに佇んでいられる。境界性パーソナリティ障害、それでもOKだよ。それがマインドフルネスの生き方です。

ところで、DBTのトレーニングを受けている人の感想として、マインドフルネスはつらいもんだという感想を持つ人がいるそうです。このことについて説明はありませんでしたが、マインドフルネスがつらいわけではなく、マインドフルネスのトレーニングをしだすと、つらい自分に気がつくということだと思います。どうしてつらく感じるかというと、葛藤が始まっているからでしょう。弁証法的に見ると、合へ向けて正反の揺れが始まっているのです。ようやく葛藤できるようになったということです。これは精神的な成熟度を進めるために必要なことです。マインドフルネスがつらいと感じるのは治療が進んでいるという指標のようなものかもしれません。

ただ、マインドフルネスのトレーニングは成果が見えないので飽きてしまうというつらさはあります。「サーチ!」の著者チャディー・メン・タンによると、チベットの僧侶は自分の若い頃を回想して、「その頃は、瞑想という発想は好きだが、その実践は嫌だった」と語っているほどです。最初の数日は熱心にトレーニングするのに、しばらくするとテレビでのサッカー観戦に熱をあげている人が多い。どうすれば続けられるのか、これは運動と同じです。最初の数か月をがまんする。がまんはマインドフルネスとは対極にある行為ですが、習慣化のためのがまんと諦めてください。3か月たつと、自分の感じが変わっていることに気が付くでしょう。

がまんしながら続けるコツは、仲間をつくること、めいっぱいやらないこと、一息だけやること、の3つです。


(2)感情を調節する

これは生活習慣を変えることです。習慣を変えることなのでこのスキル習得は厳しいく難しいです。DBTでは、感情を10個に分けています。愛、喜びなどポジティブな感情は2つだけで、残りの8個はネガティブな感情です。どうすれば感情的にならずに、否定的な感情を抱いて傷つくことから避けることができるか、というと下記を実行することです。

・身体疾患の治療をする
・バランスのよい食事をとる
・気分を変動させる薬物を避ける
・バランスのよい睡眠をとる
・運動する
・達成感を味わう

具体的には感情のリストを使います。例えば「恐れ」があるとき、恐れのリストを見ます。そこには「1.生命や健康を脅かされたとき」とあります。このような恐れだったら「適切な行動」(Problem solutions)の欄を見ます。ここには「1.恐れているものを回避する」、「2.恐れているものを取り除く」とあります。このどちらかをするようにします。もし「恐れ」がリストにない場合、例えば、試験を受けるまえの緊張からくる恐れだったとします。そのときは「反対行動」(Opposite actions)の欄を見ます。ここには「1.恐れていることを繰り返して実践してみる。2.恐れているものに出来るだけ近づいてみる。3.自分の感覚をコントロールしてみる」とあります。ここからできそうなものを選択します。

どの行動を選択するかは、自分にとってはちょっと難しいくらいの目標が良いようです。

「怒り」の感情があるときは、まずリストから「1.重要なことを妨げられたとき。2.心理的・身体的に攻撃されたとき。3.侮辱されたり、脅迫されたとき」の怒りであるかどうかをチェックします。もし該当があるなら、「適切な行動」の欄をみて、「1.その障害に打ち勝つ。2.必要以上の攻撃や脅迫をやめる。3.脅迫している人間を避ける」から選択して行動してみます。もしリストにない場合は「反対行動」の欄をみて、「1.そっと避ける、2.ちょっと良いことをやってみる、3.理解を示す、4.ハーフスマイル、5.深呼吸」からやれそうなものを実行します。

このようにマニュアルにそって、その場の感情に対処します。けれど、実際には自分がどのような感情を感じているのかは難しいことが多いです。そのためにマインドフルネスの技術が生きてくるのですが、自分の感情が分かった時点で、マニュアルにすぐに飛びつかなくても、その感情のコントロールは可能なこともあります。またマニュアルにリスト化されている行動がほんとうに良いかどうかはわかりません。私の少ない経験では、マニュアルは陳腐化するのが早いように思います。どうして陳腐化するのか。それはマニュアルが、感情を押さえつけようとする方向に働くため納得いかなくなるためです。感情の取り扱いはそれほどまでに難しいのです。


(3)苦悩を耐える

これは五感に訴えてリラックスすることです。即効性があります。以下のような4つの戦略があります。

A)気をそらす
- 読書、運動、趣味、掃除、友達と合うなどの活動的な行動をする。ボランティアなどの、誰かのためにいいことをする。同じ苦しみをもった仲間のことやもっと苦しかったことを思い出して、自分は以前よりはよい状態であることに気づく。音楽や映画などを見て、今の感情を他の感情で置き換える。感じている苦痛を箱に閉じ込めて棚上げにしておく。怒っているときに10まで数を数える。深呼吸をする。目の前にある品物の名前を頭の中で読み上げる(テーブル、椅子、ゴミ箱…)。熱い風呂に入ったり、冷たいシャワーをあびたり、氷を手で握る。このように気がそれることを率先してやってみます。

B)自分を落ち着かせる
- 五感を使って落ち着かせます。視覚では、花を見る、美しい景色を見る、ホテルのロビーに行く。聴覚では、音楽を聴く、ハミングする。他の人の声を聞く。電話をかける。いのちの電話に電話する。テレビ、ラジオをつける。嗅覚では、花、香水、朝の空気を嗅ぐ。味覚では、特別なお茶を飲んだり、キャンディを食べたり。触覚では、手を握り合う、自分の手で自分の手をつつむ、マッサージを受ける、動物を触ったり抱いたりする。このように、過度にならないようお金をかけない方法で自分を落ち着かせる行動を取ってみます。

C)いまこの瞬間を好転させる
- 海辺や山の中にいる自分、すべてがうまくいっている場面、こころの中の安全な部屋などを想像し、その中に入る。痛みの中から、目的、意味、価値をみつけてみる。全身に力を入れてスッとその力を抜く。ゆっくり呼吸する。祈る。いま自分がしていることに集中する。外に出かける。イメージしながら雰囲気を変えてみる。自分を励ます。

D)良い点と悪い点の両面を考える
- 行動をしたときと、しなかったときのプラスとマイナスを書き出す。例えばアルコール依存の飲酒を考える。酒を飲んだときの良い点と悪い点を書き出す。良い点→不安から逃れられる、悪い点→罪悪感を抱く。酒を飲まなかったときの良い点と悪い点を書き出す。良い点→自信がもてる、悪い点→不安に押しつぶされる。このリストを読んでみる。そして行動する。


これらの4つの戦略を使って「現実を受け入れる」ことをやっていくわけですが、そのためのガイドラインというものがあります。以下の三つ、「呼吸」「ハーフスマイル」「意識」です。これらはマインドフルネスそのものですね。こうやって弁証法的行動療法の中には、マインドフルネスが姿形を変えて色々登場してきます。いろんな技法があって分からないとかまとまりがないという印象を受けますが、中心はマインドフルネスであり、これを習得するためのさまざまな技法があるということです。それでは、特別に弁証法的行動療法なんて必要なの?という疑問がわいてきますが、それはこのセラピーを受けるとき各人がご判断ください。


《呼吸をする》
自分の呼吸を観察します。深呼吸したり、歩きながら自分の呼吸へ意識を向けたりします。苦しくなったとき呼吸を数えます。音楽を聴いているとき、話をしているとき、仕事をしているとき、気がついたら自分の呼吸に意識を向けます。こうやって呼吸に意識を向けるだけで心身が落ち着いていくことを体験します。

《ハーフスマイル》
これはアメリカ人が特に好きなトレーニングです。リラックスした顔つきで口角を少しだけあげます。こうやって身体をトレーニングするとこころへも良い影響を与えます。なぜなら体と心はつながっているからです。アメリカの大学院の臨床のトレーニングでは、口角を上げられないセラピストは低い点数しかもらえないようなことを聞いたことがあります。(たぶん認知療法のトレーニングでしょう。)これも変な話で、笑う練習と受容はまったく異なるのに、アメリカ人はエンドレスで口角トレーニングをするそうです。ちょっと滑稽かもしれませんが、ハーフスマイルは大人気であることを考えると一考の価値はあるでしょう。
朝、目が覚めたとき、音楽を聴きながら、もっとも嫌いな人のことを考えながら、イライラしたときに、自由な時間にちょっとだけ笑ってみます。

《意識する》
さて、意識するとは、マインドフルネスそのものの状態です。自分の姿勢を意識してみる(背筋を伸ばせということではありません、曲がっていたら曲がっていることを意識するのです)。大地を介して自分と地球の中心とつながっていることを意識してみる。コーヒーを入れながらコーヒーを入れている自分を意識する。皿を洗っているなら皿を洗っている自分を意識する。吹き掃除をしていることに意識する、ピカピカになっていくことに意識する。瞑想をする。
最後の瞑想ですが、瞑想とは雑念がない状態ではありません。雑念が出てくるのは当たり前、その雑念とともにいることがマインドフルであり瞑想の本質です。雑念がわいてきたら、その雑念がわいている自分と一緒にいるということです。

ここまでが弁証法的行動療法の理論です。これからは、実際にどのように使われていくのかを見ていきますが、その前に、少しだけ苦悩に対処するための原理というものがあるようです。これは弁証法的行動療法では取り上げられていませんが、グーグルで社内教育に採用されているマインドフルネス研修プログラムである「サーチ」の中で取り上げられているものです。こちらのほうがわかりやすかもしれませんので紹介しておきます。


(3)' 苦悩に対処する(サーチ チャディー・メン・タン)
苦悩の対処には4つの一般原理があります。(なぜかこちらも偶然の一致か、4つです)

A)痛みがないときを知る。
- 痛みがないときに痛みがないことを意識します。偏頭痛もちの人は偏頭痛のないときに、あぁ頭がすっきりしていて気持ちいいな、と実感するのです。これによって幸福度が増します。痛みで苦しんでいるときは、この痛みがなくなったら幸せだと思っているのですが、いざ痛みがなくなってしまうと痛みから解放されたことを喜ぶのを忘れてしまいます。痛みというものは連続的ではありません。特に気持ちに由来する痛み、苦しみは、ひどくなったりやわらいだりします。一瞬かもしれないけれど、このやわらいだときに、それに浸れるように練習をするのです。この一瞬の幸福を感じることができるようになると、それを足場にして、痛みから抜け出すことができるようになります。

B)いやになることにいやにならない。
- 人は、自分のことを嫌になることを嫌悪する習慣があります。私がもし良い人間ならこんなことで嫉妬などしないはずだ、と自分を嫌悪します。けどれ、苦悩というものは自然に沸き起こる現象であり、生理的なものでもあると気づくことが大切です。(怒りの感情も生理的なものです。)だから、それが起こることは自然なことなのです。嫌な自分を嫌悪するというのは、エゴがありすぎるのです。エゴが低くなれば、エゴがなくなれば、エゴを捨てることができれば、いつも機嫌よくいられることができるのです。

C)怪物どもに餌をやらない。
- 怪物が自分の心を乗っ取って、混乱させて苦しくなっているとします。これを止めるにはどうしたらいいでしょうか。圧倒的な強さをもっているように見える怪物も餌がなければ生きていきません。ですから餌をやらないことです。例えば、誰かに腹を立てているとき、マインドフルネスになって怒りをよく観察してみると、その怒りが一定していないことに気がつくでしょう。微妙に、強まったり和らいだりしています。また、自分のこころが自分に向かって何かの話を繰り返して語ることで、たえず怒りをあおっていることに気がつきます。ここでその話を繰り返さないことで、怒りは燃料切れになって消えていくでしょう。怒りに乗っ取られているとき、ほんの一瞬でも、あぁ、自分は怒っているんだな、と感じることができれば、それは怒りが和らいだときです。そのマインドフルネスをもって、繰り返している話のループを破るということです。

ただ気にしておいてほしいことは、そのような怒りのループを繰り返すという生き方にも、本人にとっては深い人生の意味があるということです。これは認知行動的には「ゆがんだ認知」と一蹴されてしまいますが、その「ゆがんだ認知」を取らざるを得なかった厳しい環境があったということです。その「ゆがんだ認知」があったから生き延びてこられたということです。認知にゆがんだも、まっすぐもないのです。ですから、その「ゆがんだ」とされるものを手放すことではありません。それを否定することではありません。それを否定すると、自分を否定することになります。それでは治るものも治りません。そのような怒りのループで生きてきた自分を発見することが、ここでは重要なのです。それを発見し、認め、大変だったな、と解ることです。それが自己受容ということです。それによって、苦悩にゆがんでいた気持ちが少し緩みます。余裕がでます。それが重要なのです。

D)あらゆる思考をやさしさとユーモアをもって始める。
- 自分のしくじったことにユーモアを見い出すことは、苦悩への処理に有効的です。チャップリンの白黒の無声映画を見てください。あそこにはしくじったチャップリンがおどけせみせている宝庫です。どのように自分を道化者にしたてあげているのか、じっくり観察してみてください。そして自分もしくじったときに、自分のやってしまったことを、そのような喜劇として見直してみるのです。

以上がサーチプログラムの苦悩処理方法です。マインドフルネスをベースによく考えられていると思います。弁証法的行動療法の苦悩対処スキルよりも、人に優しいと思いませんか?行動療法の厳しさを感じてしまうのは私だけではないと思いますが、いかがでしょうか。



【マインドフルネスの実習】

3つのマインドフルネスの実習をしました。呼吸、食べ物、ダンスの3つです。

(1)呼吸のマインドフルネス

先生のリズムに合わせて深呼吸を繰り返します。呼吸のキーは吐くときをていねいに、そして吐ききったときに少し味わうということです。行動療法に関して共通していえるのはリズムのスピードが早いのです。リズムが早いので、呼吸しているときの体の感覚や感情にフォーカスできない、という短所があります。この呼吸のマインドフルネスは、自分の感覚へ集中させることをやっていたので、あのスピードでは感じることが難しいと思いましたが、何かの考えにとらわれているとき、そこから抜け出したいときなどは(行動療法では、これを脱中心化と呼んでいます)、あのスピードが効果的に働くと思いました。これはマインドフルネスとはまったく異なる機能なので、ここで論じるものではないと思いますが、スピードというのは役に立つこともあるのです。(私的な話になりますが、以前、スクイッグルゲームという絵画療法の研究の論文を書いたときも、このスピードに着目しました。スピードというものは心理的障壁を低くするのです。自分を解放させるメリットがありました。)

(2)チョコレートのマインドフルネス

ハーシーチョコレートを1粒手にとって、それを眺めたり感触を確かめたりします。そのあと、銀紙を取って、香りをかいだりしたあと、舌に乗せます。その味を味わい、噛み砕いたりするときの感触を味わい、のどを通っていくときの感触を味わって、胃へ納まったときに、ハーシーチョコ1個分の重さが加わったことを観察します。食べ物は、チョコでなくてもかまいません。レーズン1個を使うときもあるし、和風でやるなら、たまごボーロ、豆腐とかでもいいでしょう。とくに豆腐はそのまま食べるのですが、しょうゆをつけずにやるといいです。非常に微妙な味の反応、食感を感じながら食べるので、マインドフルネスには最適ではないでしょうか。日本人ならではのマインドフルネスでしょう。

(3)ダンスのマインドフルネス

70年代のヒットソング「ハッスル」に合わせて、ボックスステップを繰り返します。みんなで輪になって合わせながらやりました。途中でステップを踏むビートを倍速にしたりしました。早くなったとき、また元へもどったとき、その感じを感じます。私的には、ビートが遅くなったときのほうが、ステップを踏んでいないときの体感の揺れ(ダンス用語ではムーブメントというのでしょう)を感じて、より楽しめました。

これらのマインドフルネスの実践を患者と一緒にするときに重要なことは、患者が解離しそうになったら中断するということです。


【ケースカンファレンス的なロールプレイ】

会場から実際の事例を募って、先生が具体的にDBTのやり方を示してくれました。事例の背景は変更を加えています。

20代女性。通院中。自傷を伴った境界性パーソナリティ障害の診断を受けています。その病院でカウンセリングをしている臨床心理士がクライエントになって、石井先生がカウンセラーの役目です。会場の人々は、集団セッションとしての参加者です。カウンセラーの石井先生が白板の前に立っています。手には黒のマーカーを持っています。クライエントはその前に椅子に座っています。他の参加者は、丸くなって白板を囲んでいます。

以下はその様子。( )はカウンセラーの発言です。

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(DBTの苦悩耐性スキルの練習やってきた?Selfスージってやつ)

忘れてしまいました。

(えーっと、それは忘れたの?やらなかったの?)

うっかりしてて

(何か原因があった?)

はい、仕事でいろいろあって。

(どうしてできなかったのでしょう。これはDBTでは「問題行動」にあたるので、これを考えてみましょう。はい、問題行動連鎖分析表(*)、チェーンアナリシスをとりだして。さ、初めましょう。あなたの脆弱性って何?)

仕事でトラブルがあると、それが頭を占めてしまって普段のことができなくなります。これが弱いところ。

(一つの思考にとらわれてしまうのが、あなたの脆弱性ね、書いておきましょう。)(と、白板に書きだす)

(実際にどんなことがあったの?)

食品管理の仕事をしていて、決まった時間に決まったチェックをしないといけなかったのが、ある一つの作業を抜かしてしまって、ひどく怒られました。

(大変でしたね。)

(そのときの体の感覚はどうでしたか)

固くなって頭が真っ白になってました。

(そのときの気持ちは?)

また怒られた、って。。。

(それは思考ですね、感情は何?)

自分を責める気持ちがありました。

(この問題行動のあとに起きる結果は何でしょうか。自分にとってマイナスな結果は何でしょうか)

しょうがないと思う。いつも私ばっかり、と思う。

ふだんやっていることができなくなる。

(どうして?)

ここでクライエントはつっかえて泣き出す。

(その涙はどういう気持ちかな)


ここでこの模擬セッションが中断して、この段階でいつもカウンセリングが進まなくなるという臨床心理士が石井先生が訴えます。

すると石井先生は参加者に、どうすればいい?と話題を振ります。(実際の集団療法でも、患者である参加者に話題を振って一緒に考えるとのことでした。)

(「ふだんやっていることができなくなる。」と言ったとき、何かをやってみるのがいいね。怒りが出てきているから。参加者の皆さん、何がいいと思う?)

掃除。怒りをどこかへしまう。Pushing away。怒りをマインドフルネスで受け入れる。など、参加者が発言する。

(そのなかでできそうなものある?と、クライエントに聞くといいよ。)

(「体が固くなった」と言ったとき、叱られるとパニックになるので、こういう直後にどうしようか、とカウンセラーは患者に聞くといいですね。例えば「頭が真っ白になるんですね。どうしたらいいかな。マニュアルで使えそうなのある?」というふうに。さて参加者の皆さんはどう思いますか)

マインドフルネスがいいと思う。呼吸、DEARMAN, Selfスージ(視覚のやつ)、日記に書く。と次々に発言する。

(こうやって少し何かが起きた時にマニュアルをみながら、自分に合ったものを使って、それに対処していく、勝ち癖をつけていくことがまず必要ですね。)

(この具体的な対処方法については、個人セッションでコーチングしてもらえばいいですね。また、これらは宿題となって、家庭へ帰って実践して身に付けてもらいます。)

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これがDBTの一部ですが、だいたいこのようにセッションは進むのです。
集団で行うコーチングのようですね。いわゆるトレーニングです。カウンセリングや心理療法ではありません。

行動療法とはこういうものなのです。

さて、ここでポイントはクライエントが泣いたところです。どうして泣いたのでしょう。それはカウンセラーに受容されていないことへの怒りです。怒りを出す代わりに泣いたのです。大人なら、ここで怒るのでしょう。どうして、そうやって私を責めるのか、と。実際、カウンセラーは責めているわけではないのですが、このたたみ掛けるような行動療法的な質問、ようしゃなくグリグリとこころにねじ込んでくるような質問が、クライエントにはきつかったのでしょう。(そばで聞いている私もきつかったし、こういうセッションは受けたくないと思っていました。)怒らずに泣いたクライエントは、このとき退行しています。そして、子どもが泣くように泣いています。きっと、「先生、怖い」と思っています。退行は悪いことではないのですが、この怖さに由来する退行は良質の退行とは言えません。こういうとき行動療法はなすすべがないのでしょうか。受容、傾聴を、第一と考えていないので、こういうときどうしていいのかわからないのでしょう。

ここで使われている質問手法は、認知(行動)療法でよく用いられる、「ソクラテス的質問法」と呼ばれるものです。ソクラテス的質問法とは、治療者が一方的に解決法を教えるのではなく、自分で解決方法を見つけらるように導いてあげられるような問答を繰り返す方法です。患者と治療者の両者が共同で探っていく方法ですが、アメリカ的な手法ゆえ、あるいは行動療法であるためか、スピードが速い。ぐいぐいと来ます。たぶん行動療法をやる人は、自分がスピード違反を犯していることに気が付きにくいかもしれません。そのスピードも手伝ってか、だんだんとその面接自体がキツく感じてしまうのです。クライエントの泣いた意味は、治療者への治療方針への抵抗だったのです。

石井先生は、ここで、頭が真っ白になったときに、何かアプローチをすればいいとおっしゃっていました。「固くなって頭が真っ白になってました。」の部分ですね。そうやって退行を防ぐのでしょう。通常の受容のカウンセリングでは、退行を許します。そして、このように「先生、怖い」という思いを抱かせません。受容されながら、その空間の中で退行するのです。この退行は良質の退行と言えます。行動療法と受容を基本とするカウンセリングは、当初からやっていることが違うのだから仕方ない、という意見もあるでしょう。しかし、リネハンを代表とする、第3の認知行動療法といわれているものは、アクセプタンス=受容が中核に置かれているのです。概念として言われているわけではなく、セッションの中でもアクセプタンス!と口を酸っぱく言われます。

行動療法は、もともとアクセプタンスというものから距離を置くことでスタートしています。アクセプタンスとはロジャーズの来談者中心主義を源流とします。だから行動療法家は、アクセプタンスと声をかけながらなかなかなじめないという現実があるのかもしれません。このへんは憶測も混じっているので、冗談半分で聞いていただきたいのですが、私の周りにいる認知行動療法家と呼ばれる人には、そういう雰囲気を持った人は少なからずいるように思います。

さて、実際のセッションでも用いられる問題行動連鎖分析表はDBTの重要なカルテのようです。このカルテは、問題行動連鎖分析(1)、問題行動連鎖分析(2)の2枚のシートになっています。

問題行動連鎖分析(1)には、氏名、実施日(分析をした日)、問題行動を起こした日を記入し、脆弱性→出来事→連鎖→問題行動という図があり、その下に3つの箱があります。この箱には、主な問題行動、ストレスフルな出来事とその背景(出来事の日付)、具体的な自分の脆弱性(日付)を記入するようになっており、問題の整理を計ろうとしています。セッションを通して、治療者がここに記入しながら患者にフィードバックをすることになります。

問題行動連鎖分析(2)には、氏名と日付を書いたあと、行動の連鎖として、行動、身体の感覚、認知(思考)、感情(気持ち)と出来事を話し合いながら、実際の行動と代替行動をリスト化していきます。これも患者にフィードバックします。

こうやって表にしてみると自分の考えていることや感情が整理されることはあるでしょう。このへんは行動療法の良さと言えるかもしれません。初学者にも取り組みやすいと言えます。


問題行動連鎖分析表(*):これに記入しながら問題行動を分析させるもの。脆弱性→出来事→連鎖→問題行動、と記入していく。



研修を終えての感想は、DBTのアプローチと受容をベースにしたカウンセリングとの違いを実感できた研修でした。この違いには葛藤があるわけです。この葛藤を抱えて乗り越えていくことで、弁証法的に私の中で新しいものが生み出されることを期待しつつ教室を後にしました。

認知行動療法は、マニュアル化が根底思想にあります。それは誰でも使えるようにという親心から来ているとは思うのですが、マニュアル化すると、そこには載っていないこともたくさんあるわけで、そこを読み手の想像力で新しい対応を創造していく必要があるわけですが、そしてそれはかなり不断の努力がいるわけですが、このやり方をマスターしたらあとは惰性で…という人が実に多い。そこにこの療法の限界があるのです。でも創造力があればそれを乗り越えていけるのです。自分だけの個性的な認知行動療法にしていける。しかし、認知行動療法はそのことを隠しているというか、汎用性が失われる恐れのためか、重要なこととして伝える努力をしていないと思います。目の前の美酒だけ見せておいて、その後ろにある大きな努力のことを言わない。それはやはり限界であると言われても仕方がないのではないか、と思いました。
ソレア心理カウンセリングセンター